メディアも記録媒体もデジタル化された現代では、オリジナルに対して完全な形のコピーが簡単に作成できてしまうために、音楽の著作権管理は厳密になっています。
「見張り役」はソフトウエア
いまや従来のCD、テレビ、ラジオなどを凌駕する勢いのインターネットメディアですが、近年では、登録型のサブスクリプション音楽サービスが人気です。サブスク型は、リスナーの手元に音楽を保存しないことが多いため、著作権管理は比較的容易です。
一方、Youtubeなどの動画共有サイトでは、日々膨大な数の音楽を使った動画が制作・アップロードされていますが、そのコンテンツに対する著作権管理はどうなっているかというと、いまトレンドとなっている人工知能(AI)が、すでにかなり活躍しています。人間だけで膨大な数の新規コンテンツを視聴・監督・管理するのはコストの面でもマンパワーの面でも不可能ですし、動画サイトは運営元がIT企業ですから、多くの場合、「音楽の見張り役」は、ソフトウエアなのです。その具体的な監視方法は明かされていませんが、「波形」と呼ばれる音を可視化したグラフなどをAIが比較・判別して、曲を判定しているようです。
そのため、クラシック音楽ではちょっと困ったことが起こります。なぜなら、クラシック音楽は、新しいオリジナル曲は少なく、「昔からある定番の音楽をいろいろな演奏家が演奏する」という性質のジャンルであり、例えば、ベートーヴェンの「運命」や、ショパンの「子犬のワルツ」など、同じ曲であれば、どの演奏家が演奏しても大体似たような「波形」になるわけで、それをAIは、「レコード会社に無断で許可の必要な演奏家の演奏を使用している!」と判断してしまったり、インターネットは地球規模のメディアですから、送信許可を国内の正当な著作権者に得ていても、国境を超えてそのことが伝わっていないため、「本国」である米国のAIが、「許可を得ずに勝手に曲を送信している!」と判断して、アカウント停止の警告を送ってくる・・・などということが、私の周りでもさかんに起きています。
繰り返しになりますが、自分の演奏をアップロードしたものでも、それがクラシック曲なら波形が似ているために、著作権で守られている他の演奏家の演奏とAIが勝手に判断し、「違反だ!」と判定されてしまうことがかなり頻繁に起こっているのです。
最初は「出版権」
著作権の考え方は、そもそも出版事業が欧州で盛んになり、作家や作曲家に許可を得ていない、または、彼らに収入をもたらさない「海賊版」が横行するようになったから出てきた考え方です。したがって最初は「出版権」のようなものでした。現代のデジタルコピーに比べたら、「完全な」コピーではあり得ないのですが、それでも印刷物は、同じものを大量に作成できる、というところから、こういう問題がおこってきたわけです。
しかし、楽譜出版に限定して考えてみると、その周辺はずいぶんといい加減でした。すなわち、作曲家のオリジナル楽譜・・手稿譜や印刷用清書などとも呼ばれます・・・を、厳密な音楽的知識がある専門職人が正確に印刷譜にしたものが本来「正当な原典版」とされるべきです。
しかし、ピアノ譜など一人で弾く曲の場合ではあまり問題になりませんが、室内楽・オーケストラの作品など、大人数で演奏する楽曲の場合、手稿譜の総譜の段階から、演奏者一人一人用の「パート譜」というものが必要なため、必ず作成されます。そして、印刷譜がまだ黎明期だった17~18世紀では、パート譜も筆写なら、総譜も筆写されたものが多く流通しており、印刷楽譜ほど大量ではなくとも、多くの「筆者譜」の形で演奏家や演奏団体に届けられている以上、すでに「正当な著作権管理」などは望むべくもなかったのです。
すなわち、人気作曲家の新作をいち早く演奏したい団体や演奏家は、出版譜が出る以前に筆写譜を手に入れたり、それを団体内でさらにコピー(筆写)したり、著作者である作曲家の知らないところで、半ば公認で楽譜は複製されました。もちろん、筆写過程で作曲家本人が関与することも多かったのですが、演奏団体が大きくなればなるほど、また人気作品となり各地で演奏されるようになればなるほど、「本人」の目は行き届かなくなるものです。
意外なことに、音楽の都であるウィーンは、大都市であるロンドンやパリほど人口がなかったために、印刷楽譜事業が成り立ちにくく、最後まで筆写譜の伝統が色濃く残った都市でした。パソコンやプリンターがない時代、印刷譜は個人では作成困難なために、会社単位である程度厳密に管理されますし、作曲家はその会社とだけ校正について打ち合わせればよいのですが、たくさんの人間が関わる筆写譜は、ある意味野放しでした。
「売るために」有名作曲家の作品と偽る
そして一方、厳密に原典版印刷譜を管理しているはずの出版業者も、著作権的な考え方からほど遠いことを行う場合も多々ありました。
「売れる楽譜」を作るため、たとえば、人気作曲家の作品を「水増し」するために、他の無名作曲家の作品を数楽章だけ紛れ込ませて1曲に仕立て上げたり、楽譜には作曲家の苗字だけしか慣例として記されないため、きょうだいや親子の作品を意図的に紛れ込ませたり、その過程でスペルミスが起こってしまい、まったく別人の作品となったり、またはその逆で無名の作曲家の作品を「売るために」わざと有名作曲家の作品として偽って出版したり・・と、現代の感覚から考えたらあり得ないほど「なんでもあり」の状況が存在したのです。
また、面白いことに、現代でも権利に対して反抗的な雰囲気が強いパリなどでは、「正当な著作権許諾版より海賊版の方が多い」と形容された出版状況も存在したのです。W.A.モーツァルトもパリを訪れたときに、楽譜屋の店頭に父レオポルド・モーツァルトの仏語版ヴァイオリン教則本が置かれているのを見つけて嬉しそうに手紙に記していますが、著作権手続きがちゃんと行われたものなのかは、知る由もありません。
機械やソフトウエアに、どんな小さな楽曲単位でも「著作権違反」を指摘・管理される現代から見れば、なんともおおらかで適当な時代でした。しかし、その中から、「人気作品」が生まれ、「人気作曲家」が誕生し、現代に生き残る「クラシック音楽」を形作ってきたのです。
本田聖嗣