多様性を東京パラリンピックで根付かせたい
――多くの大会に出場されて結果を残していますが、一番印象に残っているのはどの試合でしょうか?
江島:2008年の北京パラリンピックです。
僕が予選決勝で、自身のベストタイムを2秒更新して、アンドリューに0.5秒まで迫ったのです。
でも結局は勝てなかったし、アンドリューは4位、僕は5位でメダルも取れなかった。落ち込んで歩いていると、BBCのインタビューを受けていたアンドリューが取材を止めてこっちを見ている。それまでずっと無視されていたのに......。
彼から「グレイト!」って握手を求めてきたのです。この瞬間が一番印象に残っています。
しかし、この大会でアンドリューは引退しました。2012年のロンドンパラリンピックでは勝つぞと意気込んでいたので、目標を失い、しばらくはモヤモヤしていましたね。
――そのモヤモヤが晴れたきっかけは何でしょうか?
江島:やっぱり東京五輪・パラリンピックが決まったことです。今までは、パラリンピックは海外のスポーツだと思っていたのですが、それが日本で開催される。 僕の中でロンドンパラリンピックの経験は凄く大きい。英国はパラリンピック発祥の地ということもあり、全てが違いました。アテネや北京の時は、パラリンピックは「五輪のあとの"お祭り"」でした。
ですが、ロンドンは「五輪が終わったから、次はパラリンピックだ!」というテンションなのです。たとえば、僕たちは日本代表のユニホームで入国するのですが、その時点で入国審査官から「パラリンピックの選手か?頑張れ!」と声をかけられる。観客も予選から満員で、メダルを取れなかった僕にも声援がある。
プライベートでも、僕がバスに乗ろうとしたら、サッカーの試合後で50人くらいの団体がぞろぞろ出てきた事がありました。一便目は乗れないなと思っていると、「You First」(君が最初に乗れ)と譲られたのです。バリアフリーを一般の人々が自然と体現している。そういったダイバーシティ(多様性)を、東京パラリンピックで根付かせたいと思っています。
競技面でも、「江島選手が北京パラリンピックでメダルを取ったのを見て、パラ水泳を始めました」と言ってくれた方がいました。僕もシドニーパラリンピックを見てパラ水泳を始めたので、東京パラリンピックでも数珠繋ぎにパラ水泳の輪を広げていきたいです。
――最後にパラ水泳の魅力を教えてください。
江島:水泳はシンプルに水の中で一番速い人を決める競技ですが、パラ水泳が面白いのは、泳ぎ方に個性がある点です。同じレース・クラスでもさまざまな障害の選手がいます。たとえば、両腕のない選手は足だけで泳ぎます。泳ぐ前に選手の障害を見て、「この選手は今からどういう泳ぎ方をするのだろう」と想像するのも、面白いと思います。その予想を超えてきますからね。
江島大佑(えじま・だいすけ)
1986年1月13日京都府出身。
名門のスイミングスクールで水泳を始めるが、13歳のときにプールサイドで原因不明の脳梗塞に。左半身に麻痺が残るが、高校では健常者と同じ水泳部で活動を行う。立命館大学に進学後、2004年のアテネパラリンピックでは初出場ながら4×50メートルメドレーリレーで銀メダルを獲得した。2006年にはワールドカップ50メートル背泳ぎで世界記録を樹立。2008年北京パラリンピックでは100メートル背泳ぎで5位入賞、50メートルバタフライでは4位入賞を果たした。2012年ロンドンパラリンピックは50メートルバタフライで5位入賞。
2016年リオデジャネイロパラリンピックは日本代表に内定しながら、原因不明の体調不良により辞退を余儀なくされた。
若手育成・強化のための合同合宿「エジパラ」を開催し、後進の育成にも力を入れている。