3歳の時から水泳のとりこになり、全てを捧げてきた。
しかし、13歳の時に脳梗塞になり、左半身麻痺の障害が残ってしまう。
「その後はずっと何をするのにもやる気が出なかった。しかし、高校受験の年、2000年にシドニーパラリンピックをテレビで見て、僕が昔、漠然と思い描いていた五輪の舞台と同じ場所で、障害を持つ人たちが活躍しているのを目の当たりにし、パラリンピックを目指そうと思いました」
江島大佑の新たな水泳人生が、始まった。(インタビュアー:石井紘人 @ targma_fbrj)
軽くあしらわれ「いつか勝ってやる」
江島:いざ「パラリンピックを目指そう」と決めたものの、当時は僕と同じ障害で水泳をやっている人がいなかったこともあり、昔のイメージで泳ごうとするのですが、実際には溺れた状態になってしまう、という過去と現実のギャップに悩まされていました。
そんな僕を変えてくれたのが、高校時代の恩師の「障害があろうがなかろうが、プールの中では特別扱いはしない」という言葉です。それまでは、僕自身が「障害者だし」という諦めのような感情を持っていました。泳ぎ方にしても、健常者の泳ぎ方に近付けるのが正解で、近道だと思っていました。しかし、もう過去の自分には戻ることはできない。この左半身麻痺の「新しい江島」を、一から構築していこうと考え直しました。
――オリジナルの泳ぎ方を見いだし、高校二年生で日本代表に選出されます。国内では、デビューから負けなしでした。
江島:鳴り物入りでしたね(笑)。当時は障害を負ってから水泳を始める選手がほとんどでしたけれど、僕は健常者時代に高いレベルの水泳に触れていたので、絶対に有利だと思っていました。
「楽勝だろうな」という気持ちで2002年に世界選手権に臨んだのですが、当時世界ランキング1位、英国のアンドリュー・リンゼイ選手に完敗しました...15秒くらい差をつけられました。さらに、握手を求めた時には「この人は誰?」と鼻で笑われて。その後も試合会場で会っても、軽くあしらわれ、「いつか勝ってやる」と気合が入りました。
――その後、2004年に初めてのパラリンピックとなるアテネ大会に出場し、銀メダルを獲得します。
江島:アンドリューとの決勝は、前半僕がリードしました。アンドリューはBBCのインタビューに「前半やられたことで、焦ってターンをミスしてしまった」と言っていましたね。ですが、残り15メートルで失速してしまい、アンドリューに逆転され、6秒差で敗れてしまいました。負けましたが、それまでとは違い、一矢報いることが出来た試合でした。