タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
テレワークをするようになった友人が、「取り残されたみたいに感じる」と言っていたことがある。自分がどこにいて、どんな風に必要とされているのかわからない。その疎外感になれることが最初のハードルだった、というのである。
それまで出来ていたことが出来なくなる。第一線で仕事をしていた人が、何らかの事情で長期入院せざるを得なくなった時もそうだろう。一旦、身を引かざるをえない。その中で自分のことを見つめて何を見つけるか。
2021年1月20日に出た、シンガーソングライター、宮沢和史の「次世界」は、彼にとってのそんなアルバムのようだった。
「一度、引退してますから」
アルバムの初回盤についていた、2020年の彼の活動を追ったドキュメンタリー「明日へ向かうために、あの場所へもう一度~Documentary Mivie~2020」の中で、彼はこうつぶやいていた。
「僕は一度、引退してますから」
宮沢和史は、1966年、山梨県甲府市出身。在学中の1986年、THE BOOMを結成、代々木の歩行者天国で人気になって89年にメジャーデビューした。ライブハウス出身のバンドとは違う型にはまらないパフォーマンスと飾らない歌詞で女子中高生の人気を集め、ユニコーンやジュンスカなどとともにバンドブームの立役者となった。それでいてバンド名の由来は「ブームに流されない」という意味も含んでいた。
その言葉通り、彼らの活動は流行に媚びることなく「自分たちがやるべき音楽」「自分たちにしか出来ない音楽」にストイックなまでに向けられていた。沖縄の人たちが「ウチナンチューが作ったと思っていた」というヒット曲「島唄」や、歌謡曲やロックとブラジル音楽が合体した名作アルバム「極東サンバ」などもそうした活動の中で生まれた。
それだけではない。パーカッションやホーンも入れたラテンバンド、ガンガ・ズンバや対照的な自作の詩の朗読もあった。
THE BOOMというバンドを軸にしたそうした比類なき活動も2014年12月のバンド解散でひとまず幕を閉じた。ソロ活動に専念すると思われていた彼が、歌唱活動の無期限休養を発表したのは2016年1月だった。
彼は、筆者が担当しているラジオ番組、FM NACK5「J-POP TALKIN'」でこう言った。
「肉体的な問題があったとかじゃなかったんですね。精神的にやり尽くした、これ以上攻めて行く気になれなくなった。首を痛めたことはあったんですけど、それがきっかけでそう思うようになって自分で意識的にマイクを置いたんで、ある意味清々しさがありましたね」
2019年5月に出た前作「留まらざること川の如く」は、そうした休止期間を終えてからの「復帰」第一作だった。
その中には「もう歌手じゃない 他人に古傷を見せなくてもいい」「歌いたくなるまでこのままでいたい 誰かの歌で涙を流したい」と歌う「歌手」や「歩いたことのない道を歩こう」という「歌ったことのない歌」という曲もあった。自分にとって音楽とはどういうものだろう。アルバム全体が、肩の荷を下ろしたように力が抜けてしみじみした作品になっていた。
「あの詞はお休みを決めた時に歌手としての遺書のようなつもりで書いたんですね。あの後は一曲も詩を書かなかったですから。そういえば、どっかに残っていたなと思って引っ張り出して入れました。アルバムも元に戻ろうということではなく、また歌いだすのなら違う扉を開けて、というものでした」