20世紀になって復活
台本作者のフランチェスコ・マリア・ピアーヴェを叱咤激励し、台本が出来上がるそばから作曲していったヴェルディでしたが、シェイクスピアの偉大なる作品を、それにふさわしいオペラにするのだ、という気概が空回りし、あまり制作状況は順調ではありませんでした。衣装はロンドンから取り寄せてヴェネツィアのデザイナーにデザインを依頼したり、信頼するバリトン歌手に稽古の段階から細かい指示を与えたり・・とヴェルディは文字通り心血を注いで「マクベス」の完成に邁進するのですが、作品が有名かつ偉大すぎて、ひょっとしたら33歳のヴェルディには荷が重かったのかもしれません。
というのも、これは、初めてヴェルディが「大衆受けを狙う波乱万丈の血湧き肉躍る物語」から、「同じドラマではあるが、精神的な葛藤や人間の内面を描いた物語」にフォーカスをかえて作曲したものだったために、初演こそ評判となったものの、次第に単純なエンターテイメントを求めるイタリアの聴衆には飽きられてしまったのです。ヴェルディ自身、「このオペラは大成功するか、見向きもされないか、どちらかだ」と予言していました。
本国イタリアでは、半世紀以上、人気のないオペラとなってしまった「マクベス」ですが、20世紀に入って、ドイツで復活上演が行われると、その美しく、人間心理を細かく表現したアリアや合唱に改めて注目が集まり、現在ではヴェルディの傑作の一つとして、人気演目となっています。
巨匠シェイクスピア作品に挑んだ若きヴェルディは、これ以後、中期の充実した作品群を量産していくことになります。
本田聖嗣