昨年2020年に、生誕250年のメモリアルイヤーを迎えたルートヴィッヒ・ヴァン・.ベートーヴェンは、あらゆる意味で音楽を変えました。コロナ禍でベートーヴェン関連の催しが軒並み中止となりましたが、生誕の地ドイツでは2021年もメモリアルイヤーを延長して、様々な企画が続くことになっています。残念ながら、まだ演奏会を通常開催というわけにはいかないかない状況ですが・・。
オーケストラ作品においても、ピアノや室内楽作品においても、ベートーヴェンの前と後では音楽の内容や形式が全くといってよいほど変わりました。そして、彼は、音楽が変わるのと同じく、音楽家という存在も変えてしまったのです。それ以前、ハイドンやモーツァルトの時代は、音楽家は、あくまで「人を楽しませる作品を作る職人」というポジションでしたが、ベートーヴェン以降は、「なにか使命を感じて芸術作品を作り続ける気難しい人」という、現代に通じる「芸術家」としての音楽家像が確立されたのです。
「使命を持った超人=芸術家」
ベートーヴェンが、作品は素晴らしくても、直接知り合いにはなりたくない人・・つまり気難しい人間であったのは、もちろん、音楽家なのに、難聴という病気を抱えていたために、本人が「なるべく人から話しかけられたくないオーラ」を出していたから、という理由が大きかったのですが、音楽家にとって致命的なハンデを負いながら、素晴らしい作品を生み出すことができた原動力は、紛れもなく、彼の「芸術作品を作りつづけるのだという使命感」だったのは間違いありません。
ベートーヴェン以降、自分のことを「使命を持った超人=芸術家」だ、と感じる19世紀の芸術家たちに、題材として愛された偶像が二人います。一人は、ギリシャ神話の神、プロメテウスで、もうひとりは16世紀ドイツに実在した錬金術師、ゲオルク・ファウストです。
大文豪ゲーテが、この二人を題材として文学作品を著しています。1789年に「プロメテウス」を、1808年に代表作となる「ファウスト」第1部を発表しています。
プロメテウスに共感
そして、1801年に、ベートーヴェンは生涯ほぼ唯一のバレエ音楽、「プロメテウスの創造物」を作曲しています。直接のきっかけは、作曲家ルイジ・ボッケリーニの甥でもあったイタリア人の舞踊家・振付師、そして作曲家でもあったサルヴァトーレ・ヴィガーノがウィーンでの公演にあたって、当地ですでに有名だったベートーヴェンに音楽を依頼したことでした。しかし、最高神ゼウスの命令に背いて、天界から火を盗み、その他・医学、数学、科学そして、音楽など文明の道具をも人類に与えることによって、ゼウスから永久に罰を受け続けることになったプロメテウスは、「孤高の天才」「人類に対する啓蒙の使者」のメタファーとして最適であり、ベートーヴェンもかなり共感を覚えていたはずです。
残念ながら、バレエとしての「プロメテウスの創造物」はあまり成功を収めることができず、現在では序曲のみが独立して頻繁に演奏されます。しかし、ベートーヴェンの「不屈の精神で困難に打ち勝つ超人」というテーマは、これ以後の他の作品にも多く見られ、彼の作品の一つの大きなモチーフとなってゆきます。
本田聖嗣