Oggi 2月号の悩み相談「もやもやの泉」で、〈コロナ禍で自分が退化しているみたい〉とぼやく女性(30)=住宅メーカー勤務に、ジェーン・スーさんが答えている。
相談の内容はこうだ。〈出社しても早く帰りたいし、GoToキャンペーンを利用する気にもならない。「建築を巡る旅」「サルサダンス習得」などの夢もしぼんだ。SNSで人が楽しんでいる様子を見ると、置いていかれた気分になる。現状維持で精一杯の自分はリスクを負わない人生を選んだのかと、サボっている気にさせられて...〉
ジェーンさんは「大丈夫、大丈夫。いたって通常運転です。コロナ禍で退化したのではなく、今までが過剰適応していただけなのかもしれませんよ。私もGoToは一度も利用したことがありませんし、その予定もありません」と、まず相談者を抱きとめる。
「コロナに罹患していなくとも、漠然とした目に見えぬ不安で、心身は思っている以上に疲れています。今は、だれもが休息を必要としているときです」
ジェーンさんによると、回答のキーワード「過剰適応」とは、「環境に無理して合わせすぎること。身を守るための適応能力が過剰に働くと、心身が疲弊して病気の原因ともなる」というものだ。そのうえで相談者に問う。
建築巡りやサルサは、本当に「やりたかったこと」なのか、それとも「やっていた方が充実した生活になると感じていたこと」なのか。そして、しぼんだ目標は「やりたいな」と思える日まで放っておけばいいと。
「コロナ禍のおかげで、もしかしたら本来の自分のペースを取り戻したのかもしれません...『現状維持で精一杯』なのではなく、それが自然な姿なのだとしたら、このタイミングでそれがわかってよかったとも言えます」
やるならツイッター
SNSを見ると気後れしてしまうという告白には、こう助言する。
「インスタグラムやフェイスブックのふたつは特にそうですが、自分のフィードに流れてくる画像はリアルではなく、あくまで『こう見られたい自分』を瞬間で切り取ったもの。見栄も込みなのです...しばらくSNSからは距離を置いて」
どうしてもSNSというなら、ジェーンさんのお勧めはツイッターだ。
「あそこには、愛すべきダルくてやる気のない人たちがたくさんいます。それを隠そうともしません。『やる気が出ない』で検索してみれば、同じようなことを考えている人たちにたくさん出会えます...同じようなことを何度書いてもだれにもとがめられません」
ちなみに上記のSNSで冨永がやっているのはツイッターだけ。「やる気のない人たちがたくさん」というくだりには、「確かに...」と吹き出した。
ジェーンさんの結論は以下の通りである。
〈これまでが過剰適応だったのかも。今こそ、本来のペースを知るいい機会です〉
無駄に戦わない
コロナは経済を停滞させ、収入や雇用などで個々を締め上げた。健康への心配に加えて生活への不安。いつ終わるとも知れない重苦しい日々。ただし、上記のアドバイスからもうかがえる通り、ジェーンさんのスタンスは「無駄に戦わない」というものらしい。
彼女は同じ号の巻頭連載インタビュー「The Turning Point ~私が『決断』したとき」にも登場、新型コロナを「気になってはいるけどすぐにはどうにもならない腰の上のぜい肉」にたとえている。
「2020年は、世界中の人が等しく不安定でままならない、世にも稀な年でした...でもこれって、自分ひとりだけで解決できるわけがないんですよね。それを解決しようとするから焦るし、イライラする」というわけだ。
モヤモヤするのが当然で、それにキリキリしていたらみんな心身をやられてしまう。ならば禍(わざわい)を転じて福となすの例え通り、自分本来のペースやリズムを取り戻すチャンスと、前向きに受け止めてはどうか...それが彼女の一貫したメッセージだろう。
コロナ対策の元締め、真剣に戦うべき政府や知事が脳天気なのはまずいが、国民には心身の安定を保つための「楽観」が許される。もちろん、そのためには衣食住が足りていることが前提だろう。やるべきことをせずに「自助」を強いる為政者は論外だ。
冨永 格