タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
ライブが行われない、人に逢えない。2020年の隔離されたような生活の中でいつにも増して捕らわれたのが「あの人は元気だろうか」という感情だった。こういう時に気になる、こういう時だからこそ明るい笑顔が恋しくなる。年末に10枚目のソロとなるミニアルバム「Boot up!!」を発売したChageもそんな存在だった。
「ともかく時間がありましたからね。どういう形になるか分からないけど、曲は作っておこうと。今までやってこなかったことを実験してみたり。作っては壊し、作っては壊しで、6曲全部違うパターンになりました」
ほとばしるビートルズフリークぶり
Chageは1958年生まれ。地元福岡の近所にいたビートルズの日本武道館公演を見に行った熱烈なマニアの叔父を介してビートルズの洗礼を受けた。これまでのソロ活動もChage&Askaでは思うように出せなかったビートルズ愛を形にしていたと言って過言ではないだろう。
新作はビートルズフリークぶりを発揮しつつ、そこに留まっていない。今まで見せてこなかった新しい面もふんだんに見せている。
Chage&Askaが、どういう成り立ちだったのかを知らない若い音楽ファンも少なくないかもしれない。二人は福岡の高校時代から認め合った仲で、やはり同じ大学の時にはそれぞれが別々にヤマハのポピュラーソングコンテストに出場している。在学中の1978年、福岡大会のグランプリを受賞したChageは、家業の中州の和食屋を継ぐ予定を変更。音楽の道に進むことにする。ちなみに、その時に最優秀歌唱賞だったのがAskaである。ヤマハの九州地区の担当から二人でやることを提案されてChage&Askaを結成、1979年、二度目に参加したポピュラーソングコンテストの全国大会で入賞。そこで歌った「ひとり咲き」でデビューすることになった。
新作アルバム「Boot Up!!」には初めて一緒に作業をしたパートナーがいる。Aikoやいきものがかり、秦基博らのアレンジで知られるプロデューサーの島田昌典。彼が、アマチュアの時に初めて人前で演奏した曲がChage&Askaの「ひとり咲き」だったのだそうだ。
「レコード会社の方からどうですか、と言われたんです。彼がビートルズフリークというのは知ってましたからね。ぜひ。やらしてください、と言ったら、彼が最初にコピーした曲が『ひとり咲き』だった。そういうめぐり合わせもあるんだなあと思いましたよ」
今まで見せてこなかった新しい一面。たとえば、アルバムの一曲目「それが愛ならOK」がある。詞はやはりChage&Askaの初期の代表曲、81年の「熱風」が作詞家としての出世作だったという作詞家の松井五郎が書いている。Chageの言葉を借りれば「何の説明もいらない以心伝心」の仲。曲調は、日本のロックの中では少数派のピアノロックだ。それも島田昌典がキーボーディストだったことから完成した。
中でもこれが今後のChageの一つの色になると思われるのが一曲目の「Swing&Groove」だろう。レトロな歌謡曲さもある1930年代のアメリカを思わせるスイングジャズ。陽気で小粋なホーンセクションとコーラス。演奏を見ながらスタジオのソファで書いたという歌詞も楽しい。Chageと島田昌典のビートルズフリークぶりがほとばしっているのが「No.3」だ。
「100%出しましたね(笑)。ギターはジョージ・ハリスンだし、インド楽器も出てくる。機材も当時のビンテージものを探してきました。誰の声でもジョン・レノンになるというボーカルアンプを使ってる。歌詞の中に出てくる人名は、ビートルズの曲の中に出てくる人たちだったりするんです。ここまで徹底したのは初めて、島田君がいてくれたからですね」