プレシャス1月号の特集、ニューノーマル時代の「新名品」に、エッセイストの光野桃さんが一文を寄せている。冒頭「名品には『響き』がある」に続けて...
「ひとつは外へ向かって、輝く美のポテンシャルを高らかに伝えるもの、そしてもうひとつは、身につけるひとの内側にそっと寄り添い、静かな変容を促すさざ波のような響きだ。いま、わたしが心惹かれるのは後者、たとえばカシミアである」
外への発信より、内に沁み込む「響き」こそが、今日において名品の必須だと。
「手放さなければならないものが、多分想像を絶するほどに多くなるであろうこれからの時代に、(例えばカシミアが=冨永注)心を支えてくれると思う」
光野さんによれば、コロナが広まった世界はパンドラの箱をぶちまけたありさま。排他主義、自己責任論、ヘイトに冷笑、差別と分断、そして大規模な森林火災まで、「ありとあらゆるネガティブが出揃い、その恐ろしさは、種の滅びすら感じさせる」
そのうえで自省すれば、責任の一端は「わたしの世代」にあるという。物心ついた頃から高度成長の恩恵に浴し、自分の夢と欲望を叶えるべく頑張った...ただし利己的に。
ちなみに光野さんは、私と同じ1956年の生まれだ。
「この新時代に、せめても良い人間になりたいと願う。たとえば、利他的に生きられたら、と...これがなかなか難しい...他者のためにと思ったことが、実は心の奥底にある優越感のストーリーに他者を利用しているにすぎない、といったことがよく起こる」
頼れるが気難しい
利他と利己は背中合わせの双子のよう。善行は自己承認の道具であり、プライドの罠が口を開けると論じる光野さん。それでも踏ん張って利他的に生きるには、まず自分の中にゆとり、余白がほしいと続ける。そこであらためて、カシミアの登場である。
光野さんは「質のいいカシミアに触れると、呼吸が深くなる。余計な飾りはいらなくなる」「身につけたときの安心感や守られている感覚は心に確かな余白を生む」という。
「カシミアは、ただ豪奢なだけではない、ある種の気難しさをもっている。甘くとろける暖かさの奥に、ひんやりした温度を感じさせたり、軽やかな風合いの中にずしりとした手ごたえを含んでいる。安易なコーディネートを拒むところもある」
頼りになるが、気難しい。一筋縄ではいかないカシミアだが、こんな時代だからこそなんとか味方につけておきたい...まとめれば、そんな趣旨だろう。
光野さんに言わせれば、カシミアは身につける者の触覚を目覚めさせる。「心に余白を育み、利他的な生き方へと背中を押してくれるもの」である。
「その手触りは、他者という存在の複雑さ、わからなさ、そして愛おしさとも似ているような気がする」