「体操ニッポン」金メダルの先へ 米田功は若手の育成に挑み続ける

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東京五輪、選手は思い切って挑戦を

――指導者の視点から、東京五輪の展望をお聞かせ頂けますでしょうか?

米田:体操男子は前回大会のリオ五輪で団体金メダルをとったこともあり、周りは「"金"メダルとれますか」としか聞かないと思います。でも、周りの期待よりも自分の期待の方が高くないといけないと私は思っているので、その自分が思い描く期待に挑戦すれば良いだけ。思い切って挑戦して欲しいです。
地元(日本)での五輪が巡ってくるって、凄いことですよね。その奇跡的なことをプレッシャーでマイナスに考えることは、非常にもったいない。いつも通りの競技が出来れば結果は後からついてくるもの。期待しています。

――最後に、東京五輪で体操を初めて見る人たちに魅力を教えて頂けませんか。

米田:一つ一つを切り取ると、ダイナミックな技や姿勢の美しさがあると思うのですが、ミスは許されないというところに体操の魅力があると私は思っています。手に汗を握る、綱渡りを見ているように声一つ出ない雰囲気。見ていて疲れるかもしれませんが、緊張感・緊迫感を楽しめるスポーツです。
現在のコロナ禍で、なかなか選手に声援を送りづらい状況です。一方で、SNSで積極的に情報発信を始めた選手がいます。みなさんが「いいね!」やコメント投稿をするだけでも、選手は励みになります。選手のSNSなどを見るだけでなく、ポジティブなリアクションをしてみてはいかがでしょうか。

米田功(よねだ・いさお)
1977年8月20日生まれ、大阪府出身。
7歳から体操を始め、全国中学生大会で個人総合優勝。清風高校時代にインターハイで個人総合2位。順天堂大学に進み、順調なキャリアを歩んでいく。
だが、2000年のNHK杯ではまさかのシドニー五輪代表落選。
その雪辱を晴らし、2004年のアテネ五輪では日本男子体操のキャプテンとしてチームを牽引。団体で28年ぶりとなる金メダルを獲得。種目別の鉄棒でも素晴らしい演技を見せ、銅メダルを獲得。
惜しくも2008年の北京五輪では代表の座を逃し、同年5月6日に引退を表明し、指導者を目指すと宣言した。
2009年からメンタルトレーナーとしての活動をスタート。2012年には自身の体操クラブである米田功体操クラブを設立。 2013年1月からは、徳洲会体操クラブの監督として、指導者としての道を歩んでいる。

文:石井紘人(いしい・はやと)
ラジオやテレビでスポーツ解説を行う。主に運動生理学の批評を専門とする。著書に『足指をまげるだけで腰痛は治る』(ぴあ)『足ゆび力』(ガイドワークス)など。
『TokyoNHK2020』サイトでも一年間に渡り、パラリンピックスポーツの取材を行い、「静寂から熱狂そしてリスペクト」などを寄稿。
株式会社ダブルインフィニティ代表取締役でもあり、JFA協力、Jリーグと制作した『審判』、日本サッカー名シーン&ゴール集『Jリーグメモリーズ&アーカイブス』の版元でもある。

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