自分で弾く自作
しかし、この時期のベートーヴェンは徐々に難聴が進行していたにもかかわらず、作曲意欲は旺盛で、交響曲を初め、たくさんの作曲家としての本格作品に取り組んでいたため、ピアノ協奏曲のピアノパートは、どうやら最後まで疎かになったようです。というのも、初演時のピアニストは、ベートーヴェン自身だったからで・・・・ということは、オーケストラの音は聞こえていたわけですから、この時期のベートーヴェンは「演奏することができるぐらい、耳はまだ聞こえていた」わけですが・・・・自分で弾く自作ですから、楽譜に書く、ということが一番後回しになったようなのです。
当時は、まだ「暗譜」で弾くという習慣がありませんでした。ピアニストが演奏会で楽譜を見なくなるのは、ロマン派のクララ・シューマンや、リストが行ってからです・・・そのため、「ピアノ協奏曲 第3番」を初演するベートーヴェンの前には、楽譜がありました。ピアニストは両手を使っているので、譜面をめくる譜めくりがつくのですが、モーツァルトに師事したこともある若手指揮者のイグナーツ・フォン・ザイフリートという人でした。指揮者だから、オーケストラパートへの理解も深かったはずです。
だから、なのかもしれません。ザイフリートが目を剥いたのは、本番のステージに上がっているベートーヴェンの前の楽譜には、エジプトの象形文字のような・・とありますから古代神聖文字ヒエログリフのことでしょうか・・いわゆるイラストに近い印が、ごにょごにょと少し書かれているだけで、「ほとんど白紙」の楽譜だったのです!まるで、歌舞伎の「勧進帳」の世界。