初演は「勧進帳」だった?!ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲 第3番」

全国の工務店を掲載し、最も多くの地域密着型工務店を紹介しています

自分で弾く自作

   しかし、この時期のベートーヴェンは徐々に難聴が進行していたにもかかわらず、作曲意欲は旺盛で、交響曲を初め、たくさんの作曲家としての本格作品に取り組んでいたため、ピアノ協奏曲のピアノパートは、どうやら最後まで疎かになったようです。というのも、初演時のピアニストは、ベートーヴェン自身だったからで・・・・ということは、オーケストラの音は聞こえていたわけですから、この時期のベートーヴェンは「演奏することができるぐらい、耳はまだ聞こえていた」わけですが・・・・自分で弾く自作ですから、楽譜に書く、ということが一番後回しになったようなのです。

   当時は、まだ「暗譜」で弾くという習慣がありませんでした。ピアニストが演奏会で楽譜を見なくなるのは、ロマン派のクララ・シューマンや、リストが行ってからです・・・そのため、「ピアノ協奏曲 第3番」を初演するベートーヴェンの前には、楽譜がありました。ピアニストは両手を使っているので、譜面をめくる譜めくりがつくのですが、モーツァルトに師事したこともある若手指揮者のイグナーツ・フォン・ザイフリートという人でした。指揮者だから、オーケストラパートへの理解も深かったはずです。

   だから、なのかもしれません。ザイフリートが目を剥いたのは、本番のステージに上がっているベートーヴェンの前の楽譜には、エジプトの象形文字のような・・とありますから古代神聖文字ヒエログリフのことでしょうか・・いわゆるイラストに近い印が、ごにょごにょと少し書かれているだけで、「ほとんど白紙」の楽譜だったのです!まるで、歌舞伎の「勧進帳」の世界。

本田聖嗣プロフィール
私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミエ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラ マ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

姉妹サイト