三島に見せたかった
寂聴さんは先の大けがについて、朝日紙上の別コラムでこう書いている。
〈右手が、肩から指先まで無事だったのが何より有難かった。右手さえ無事なら、まだ、文章を書くことが出来る。何度転んでも、なぜか頭は一度もけがをしていない...頭と右手さえあれば、まだ書きつづけられる...死ぬまで書きつづけたいと思っている〉
100歳を前にして、とんでもない創作意欲である。幸い頭部のCTは異常なし。入院ついでに、悪かった足の手術やリハビリまで済ませたという。この気力と能力、そして加齢をあざ笑うかのような元気は、下の世代=高齢初心者へのエールとなる。
その日の詳細を覚えているということは、寂聴さんにとって、51歳での得度がそれほど重大な転機だったということだろう。
次週の同じコラムによると、寂聴さんの黒髪がバッサバッサと落されるのを見て、付き添いの姉が声を上げて泣き出した。部屋の外に忍んでいた記者たちは、寂聴さんが泣いていると思い込んで誤った情報を送ってしまったという。
寂聴さんは手鏡の中を眺めつつ、涙は一滴もこぼさなかった。「三島由紀夫さん(その3年前に自決)にこの頭を見てほしかった」と思っていたそうだ。
「そそっかしいが、後悔しない」という生き方、正真正銘である。
冨永 格