松任谷由実らしさが凝縮
松任谷由実が日本の音楽シーンに切り開いた扉、与えた影響や功績は大別すると四つだと思う。
1・職業作家や男性シンガーソングライターには書けない女性の感覚を歌にした。
2・ピアニストならではのヨーロピアン調やクラシカルな作風を確立した。
3・コンサートに「ショーアップ」という要素を持ち込んでエンターテインメントにした。
4・テーマやストーリーを持ったコンセプトアルバムという概念を形にした。
新作アルバム「深海の街」は、そういう意味でも彼女らしさが凝縮されている。
たとえば一曲目は「1920」という年代で始まっている。彼女の母が今年、100歳を迎えたということがきっかけだったという100年前の時代へのイマジネーション。人類史上最も多くの死者を出した感染症、スペイン風邪や、第一次世界大戦で焦土と化したベルギーで行われたアントワープ・オリンピックという年はコロナと東京オリンピックに翻弄される今の日本と重なり合う。
それでいて出来事を追うのではなく、失われた時の中に閉じ込められた写真の記憶と語り合う。そんな世界は改めて80年代の「時のないホテル」や「REINCARNATION」などの名盤を思わせた。輪廻する時間。「1920」に続く2曲目の「ノートルダム」は、去年4月に焼失したフランスのノートルダム寺院がモチーフになっている。
ユーミンとフランス。74年にはフランスのシンガーソングライター、フランソワーズ・アルディへの思いを歌った「私のフランソワーズ」もあった。彼女のヨーロッパの水彩画のような作風は、アメリカの影響が強かった当時のシンガー・ソングライターとは明らかに一線を画していた。
焼け落ちた寺院とコロナ渦で喪に服しているヨーロッパの情景。歌詞の中のこんな一節は若い頃には書けなかっただろう。
「重なる白骨を引き離すとき
砂になって崩れる」
「ノートルダム」には、こんな一節もある。
「いつしか惹かれ合い 愛し合った
燃え上がる炎みたいに
いつまでも消えない」
同じラブソングでも年令や状況によって変わる。「恋の炎」が、900年近い歴史を燃やし尽くした「火災」と重なる。別れや旅立ち、失うことや忘れてゆくこと。そして、そこからまた歩き出すということ。聞きなれた言葉や多くの人に使われている言葉でも前後の文脈やメロディーやサウンドで違って聞こえる。
何よりもそうした背景の中での彼女の歌自体が、「今」を引き受けたような重みとともにある。
それでいて今まで試みたことのないスタイルにチャレンジしていることも触れないといけない。
メロディー先行で音楽づくりを続けてきたシンガーソングライターが、パートナーのプロデューサー&アレンジャー、松任谷正隆が打ち込んだトラックを聞いてから曲を書くというヒップホップ系の人たちが行っているようなやり方も行っている。それもSTAY HOMEという状況を作品に記録した例ということになるだろう。
どんな状況でも新しい音楽は生まれてゆく。「会えない」からこそ分かる「会いたさ」。「人と人」の距離に対する切実な愛おしさが、ラブソングに新しい意味を加えてゆく。
「ノートルダム」は「歩いてゆこう」と語りかけるような言葉で終わっている。
「深海の街」はこうだ。
「帰らないと言った
出逢う以前のあのふたりに
待っていると答えた
君の帰りを永遠に」
もうあの日には戻れないのかもしれない。
でも、永遠に待ち続ける。
彼女は、オフィシャルインタビューの中でこうも言っている。
「きっと私たち人間には愛しか残らない。そして、私には音楽しか残らない。願わくは、100年後を生きる人々がこのアルバムを聴いて『かつて日本のシンガーソングライターが、コロナ禍の当時、こんな音楽の記録を残していたのか』と感じてもらえたら」
1920年、2020年、そして、僕らがもうこの世にはいない2120年。その時、地上に愛は残されているだろうか
(タケ)