坂本冬美「ブッダのように私は死んだ」
ポップス系の情念の歌

糖の吸収を抑える、腸の環境を整える富士フイルムのサプリ!

   タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」

   「自分の中で消化できるまで、寝ても覚めても聞きました。500回くらいは聞いたでしょうね。曲の世界観をどう解釈するか。もし、違っていたらどうしよう。不安なことだらけで、レコーディングも最初の一声を出すのがどのくらい怖かったか。こんなに緊張したことは今までにもなかったですね」

    坂本冬美は、2020年11月11日に発売になった新曲「ブッダのように私は死んだ」について、そう言った。

  • 「ブッダのように私は死んだ」(右が表、左が裏面、universal Music提供)
    「ブッダのように私は死んだ」(右が表、左が裏面、universal Music提供)
  • 「ブッダのように私は死んだ」(右が表、左が裏面、universal Music提供)

初めて会ったのはNHK紅白歌合戦

   デビューが1987年。すでに30年以上になるキャリアの持ち主をなぜそこまで緊張させたか、当然のことながら理由がある。

   一つは、タイトルが全てを物語っているように歌の内容がある。そして、更に大きな要因は、詞曲を書いたのがサザンオールスターズの桑田佳祐だったことだ。「ブッダのように私は死んだ」は、彼が23年ぶりに他の歌い手に提供した曲だった。

   そもそもの話は、彼女が中学生時代にさかのぼる。子供の頃から演歌歌手になりたいと思っていた彼女が、初めて演歌以外の音楽を好きになったのがサザンオールスターズだった。きっかけは「初恋の人の影響」だった。

   「もう覚えている方の方が少ないでしょうけど、デビューした時の『プロフィールに好きなアーティスト』というところに石川さゆりさん、サザンオールスターズと書いてたんです。忌野清志郎さんとHISを組んだ時も、清志郎さんが照れくさそうに、冬美ちゃんは桑田君のファンなんだよねって言われたことが忘れられません」

   HISというのは、同じレコード会社だった忌野清志郎が細野晴臣と坂本冬美を誘って作った91年のユニットである。

   2009年にはポップス調の「また君に恋してる」を大ヒットさせている。演歌の王道を歌いつつ、ジャンルに捕らわれない歌を歌ってきたのが彼女でもある。

   とは言え、桑田佳祐とは顔を合わせる機会もないまま30年が経っていた。初めて一緒になったのが、2018年のNHK紅白歌合戦だった。

   「リハーサルでお見かけして、あ、桑田さんだ!思わず駆け寄ってしまって、ファンなんです、握手してください」。思い切り中学生の頃の少女に戻ってしまって(笑)。それからですね」

   とは言え、プロになってから子供の頃に憧れていた歌い手と仕事場で初めて会うということ自体は珍しいことではないかもしれない。

   話には続きがあった。

タケ×モリ プロフィール
タケは田家秀樹(たけ・ひでき)。音楽評論家、ノンフィクション作家。「ステージを観てないアーティストの評論はしない」を原則とし、40年以上、J-POPシーンを取材し続けている。69年、タウン誌のはしり「新宿プレイマップ」(新都心新宿PR委員会)創刊に参画。「セイ!ヤング」(文化放送)などの音楽番組、若者番組の放送作家、若者雑誌編集長を経て現職。著書に「読むJ-POP・1945~2004」(朝日文庫)などアーティスト関連、音楽史など多数。「FM NACK5」「FM COCOLO」「TOKYO FM」などで音楽番組パーソナリテイ。放送作家としては「イムジン河2001」(NACK5)で民間放送連盟賞最優秀賞受賞、受賞作多数。ホームページは、http://takehideki.jimdo.com
モリは友人で同じくJ-POPに詳しい。

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