曲に複数回手を入れる
しかし、「イタリア」が完成したのは「英国」でした。旅行中は、もちろん交響曲という大規模な曲はいかな彼でもおそらく仕上げられず、1832年に、付き合いの深いロンドン・フィルハーモニック協会から、作曲の依頼を受けて、この曲を演奏のために完成させることになるのです。初演は、1833年5月にロンドンで、彼自身の指揮によって行われます。
ところが、メンデルスゾーンは、初演後、まだこの曲を一層ブラッシュアップしたいと思い、改訂を行います。ややこしいのは、同時にこの曲は、フィルハーモニック協会の委嘱だったため、演奏は2年間この協会の独占、と決められていたことなのです。そのため、作曲者本人の手元にも、初稿の楽譜がなかった可能性があります。しかし、その初稿は未完成だから手を加えたい、演奏しないでもらいたい・・と協会にメンデルスゾーンは連絡していて、協会の方は、「いつ改訂版は仕上がるのだ!」と返信し、一層複雑なことになりました。
その後も複数回メンデルスゾーンはこの曲に手を入れており、中には、難航して途中で放棄気味になったり、彼が亡くなってしまい頓挫したり・・と、「勢いで書いた交響曲をあとから手を入れていく問題」が起こってしまいました。現在では、オリジナルの手書き譜から復元したもの、・・結局もとのシンプルなもの・・・が演奏に使われることがほとんどです。
メンデルスゾーンほどの天才でも、楽想が盛り上がって勢いで書き、それを依頼に合わせて仕上げたもの・・・に対して改作したくなってしまうのは、人間的と言えるかもしれません。
クラシック音楽は、まことに「楽譜に忠実な演奏」が求められますが、その楽譜にも、こんなエピソードがあるのです。
本田聖嗣