大きい「やりとげ感」
禅語を交えての文章は少しとっつきにくいが、言わんとすることはわかる。身の回りを整えて暮らせば呼吸や心までが安定し、「初々しい気持ちで日々を生きる」ことができる、というわけだ。掃除は自他を幸せにする行いだと。
そこまで深く考えてのことではないが、デスク周りを片づけるだけでスカッとして執筆がはかどった、という経験はある。仕事場は雑然としているほどいいという人も、とりわけ物書き諸氏には多そうだが、ここでは無視させてもらう。
様々ある家事のうち、私が料理の次に好きなのが掃除だ。やはり結果が目に見えるのが大きい。ゴミ拾いもガラス拭きも、「事前」が汚いほど「事後」は美しく、嬉しい。やりとげ感が高いのである。
掃除は本来、衛生上の理由から定着した習慣と思われるが、コロナ禍で心のリフレッシュという意味が加わる。生存のための栄養補給、すなわち食がいまや文化に昇格しているのだから、掃除や洗濯が精神性を帯びたところで何の不思議もない。
冨永 格