共産党の副委員長は親友だった
2002年12月、宇宙線研究所と素粒子物理国際研究センターの共同主催による小柴さんのノーベル賞の祝賀会が東京都内で開かれた。多数の関係者が集まった。選ばれた数人が祝辞を述べた。その中に意外な人物がいた。共産党の上田耕一郎副委員長だ。小柴さんと上田氏は旧制一高時代の仲間で特に親しかった。
「しんぶん赤旗」の12月27日号には祝賀会の様子が写真入りで紹介されている。
「小柴さんは、上田さんを満面の笑みをうかべて歓迎。上田さんが『読売の読者が選んだ十大ニュースでは、ノーベル賞ダブル受賞がトップだったよ』と伝えると、小柴さんが『へえ、そうかい』と応じるなど、親しく言葉をかわしました」とある。
上田氏の著書、『人生の同行者 上田耕一郎×小柴昌俊・鶴見俊輔・小田実対談』(新日本出版社、2006年刊)にも小柴さんが登場、「1 ノーベル賞、うれしかった」「2 東大での思い出」「3 ニュートリノと宇宙誕生」「4 平和の問題は保守も革新もない」などを語り合っている。
先の祝賀会で小柴さんは、「今後も五年後、また五年後と、カミオカンデからノーベル賞が出ると、私は信じています。そうした、息の長い基礎研究を、みなさんどうぞかわいがってください」と語っていたが、予言通り2015年に梶田氏が受賞することになった。
その梶田氏は現在、第30代の日本学術会議会長として、「学術会議問題」で政府とのやり取りの最前線に立っている。学術会議に6人が任命されなかった背景には、この6人の政治的スタンスがある、というのがもっぱらの観測だ。共産党の副委員長とも生涯にわたって親密だった小柴さんは、泉下でも「学術会議」の問題を気にかけているに違いない。