弟宛ての手紙で宣言した兵役志願
しかしちょうど同じ頃、東欧ボスニアのサラエボでオーストリアのフランツ=フェルディナンド大公とその妻ゾフィーが6月28日に暗殺されたことによって、オーストリアがセルビアに宣戦布告をしていました。
オーストリアの同盟国はドイツ、オスマン=トルコ帝国、ブルガリアで、セルビアを支援しようとしたロシアが軍隊に動員をかけると、それを警戒したドイツがロシアに宣戦布告。ロシアは同盟国のフランスに支援を要請し、普仏戦争の復讐に燃えるフランスはドイツの中立要請をはねつけて、ドイツに宣戦布告することになるのです。暗殺事件は、世界大戦を引き起こしてしまいました。
フランスでは8月1日に「総動員令」が発動され、翌2日には戒厳令が敷かれます。3日にドイツの宣戦布告があり、ドイツ軍は雪崩を打って、まずベルギーに侵攻を開始したのです。8月中にフランスでは460万人を超える兵士が動員され、ラヴェルの周囲からも、続々と戦場に出征する友人たちがいました。
もともと虚弱体質で、20歳のときの徴兵検査では不合格となったラヴェル、すでにアラフォーの39歳でしたが、こういった状況の中でいても立ってもいられず、兵隊に志願する、と8月上旬の弟宛ての手紙で宣言しています。「反対する理由がない、僕も行くからね」という弟の返信を受け取ったラヴェルは、その前に、「ピアノ三重奏曲」を完成させようと、猛烈なチャージをかけはじめます。 (つづく)
本田聖嗣