先週と先々週にわたって、フランスの楽譜出版社、デュランが発行したロマン派の巨匠たち・・ショパン、シューマン、メンデルスゾーンのピアノ楽譜の校訂が、それぞれ、ドビュッシー、フォーレ、ラヴェル、とその時代のフランスを代表する大作曲家たちによって行われていたということを取り上げました。これは、全世界を巻き込み、フランス本土も戦場となった未曽有の大戦争、第一次世界大戦が始まって2年目の「1915年」という奇跡的なタイミングでデュランからの依頼が各作曲家にあり、実現したものです。
ラヴェルの「遺書」と感じるわけ
ドビュッシーは大戦集結の1918年に病気で亡くなり、一方、ラヴェルは、第一次大戦に従軍し、戦場に赴くことになるので、こちらにも命の危険が迫っていました。
この時期のラヴェルについては、すでに「3つの歌」から「楽園の三羽の美しい鳥」や、「クープランの墓」で取り上げていますが、もう一つ、大変重要な作品があるのです。
それが、今回取り上げる「ピアノ三重奏曲」。ヴァイオリンと、チェロと、ピアノというスタンダードな編成によって演奏されるピアノ・トリオですが、その規模の大きさといい、華麗な音楽といい、技巧を凝らした凝った作りといい、傑作ぞろいのラヴェルの作品の中でも白眉の作品であるだけでなく、クラシック音楽のレパートリーの中でも評価の高い名曲です。
しかし、この曲は、私がピアニストとして演奏していて、ラヴェルの「戦時期の音楽」の中でも特別な存在だな、と感じることがありました。一言でいえば、これは、ラヴェルの「遺書」または「遺言」だと感じるのです。
どうしてか?・・・ということを具体的に解明していきましょう。