自由な創作と自由な発信
デビュー40周年の二種類のベストアルバムには、彼が語った全曲解説がついている。その曲がどういう背景で生まれたのか、その時、自分はどういう状況にあったのか。
90年代の曲は、今まで語られることの少なかった両親との別れなどの私生活の変化も明かされている。彼は筆者のインタビューで「今なら、そういうことを話してもいいと思った」と語っていた。ザ・ハートランドを解散、新らしく出会ったミュージシャンと組んだThe Hobo King Bandとニューヨークのウッドストックのスタジオで制作された97年のアルバム「THE BARN」は、そういう変化の中で作られたということも触れられている。二種類のベストアルバムは彼自身の「成長の記録」でもあった。
21世紀がこういう時代になると思った人がどのくらいいただろう。生活次元でいえばインターネットや携帯電話の普及があり、地球規模では戦争と環境問題がある。佐野元春が2004年にエピックレコードを離れて自主レーベルDaisy Musicに全面的に移行したのはそんな変化に対応するためでもあった。
彼は99年に日本で初めてインターネットライブを開催、配信販売も行っている。2001年の9.11のアメリカ同時多発テロの後には書き下ろしたメッセージソング「光ーThe Light」を無料でネット配信された。ただ、そうした行為がメジャーな体制では軋轢も生んだことが独立の発端になった。
自由な創作と自由な発信。その一端を担っているのが2005年に結成されたTHE COYOTE BANDである。メンバーは小松シゲル(D)、深沼元昭(G)、藤田顕(G)、高桑圭(B)、渡辺シュンスケ(Key)、大井'スパム'洋輔(Per)。ほとんどが自分のバンド活動もしているという60年代終わりから70年代初めに生まれた世代の実力派ミュージシャン。すでに4枚のアルバムを残している。より若々しい音、という当初の印象はアルバムを重ねるごとに成長してゆき、今やロックやソウル、ジャズなど多彩なジャンルの音楽を消化したロックバンドという域に達している。
佐野元春の2000年代以降の活動は、THE COYOTE BANDでのオリジナル作品の発表、The Hobo King Bandでのリメイク作品の発表という二つの流れに大別される。
筆者のインタビューで彼は、そんな二つのバンドについて、こういった。
「僕は広い範囲の音楽に興味があるんだけど、The Hobo King Bandとやるときは僕のルーツ的な傾向が出るし、THE COYOTE BANDとやるときはモダンロック傾向が強調されるという感じ。でも、THE COYOTE BANDになってからの15年はTHE HEARTLANDもThe Hobo King Bandも超えてます。1980年代の佐野元春がすごかったんだよって言ってくれる古いファンも多いんだけど、2000年代以降のTHE COYOTE BAND、そして僕の表現は1980年代を超えている。それはハッキリ言える」
40周年という時間がどういうものだったのか。今、彼がどういう状態にあるのか。
「表現者・佐野元春」の果てなき現在地がここにある。
(タケ)