本当に奇跡的だったタイミング
それまでも、普仏戦争などでフランスとドイツは干戈を交えていましたが、今度は他国をも巻き込んだ、スケールが違う大戦争でした。
当然の如く国境をまたぐ流通は全てなくなり、楽譜出版で一日の長があったドイツからは全く楽譜が入ってこなくなりました。そのため、デュランは、改めて、ショパン、シューマン、メンデルスゾーンといったロマン派の巨匠の鍵盤楽器作品を、当代超一流の作曲家たち・・いずれもデュランとは知り合いでしたので・・・に校訂を依頼して、出版することにしたのです。戦時中でも、ピアノが1台あれば演奏できる鍵盤作品の楽譜は売れると計算していたのかもしれません。
そして、1915年というタイミング――。ドビュッシーは、大戦が終わる1918年に病気で亡くなり、ラヴェルは同年に輸送兵として従軍して体を壊して除隊しているぐらいですから、本当に奇跡的だったといえますが、三人とも快く引き受けたのです。国境が閉じた・・という事情によって、この「巨匠が過去の巨匠の作品を校訂する」という「デュラン版」が世の中に送り出されたのです。
ドビュッシーの校訂したショパンの楽譜には、他の複数のエディションにはない強弱記号などが書き込まれています。つまりそれは、「ショパンは書き込んでないのだが、ドビュッシーがピアニストとして、作曲家として、ここはこうあるべきだと判断した」強弱と考えられます。
こういった、いわば「恣意的」な校訂がなされているために、ショパンの楽譜としては、あまりメインで使われることのないデュラン版ですが、コロナ禍によって、一時的に独仏国境も閉じられた2020年、およそ100年前の国境閉鎖によって生まれた「奇跡の校訂版」をちょっと感慨深く眺めています。
本田聖嗣