先週、ショパンの作品を取り上げるにあたって、持っている楽譜をいろいろ取り出してみました。楽譜に忠実な演奏が求められるクラシック音楽ですが、オリジナルの楽譜、という定義は実は非常に難しく、例えば、ショパンは「原典」と呼ばれる楽譜が複数存在する、ということは以前にとりあげました。これは、ロシアの傀儡国家となった祖国ポーランドに戻ることをよしとせず、あえて、フランスの地に亡命者として留まることを選択したショパンならではの事情で、国境を超えていろいろな出版社に、異なるタイミングで「手を加えたオリジナル楽譜」を売った結果、微妙に異なる手稿譜がいくつか存在する事態となったものでした。
同じ曲でも校訂者が違う楽譜を複数所有
実はそれ以外にも、「同じ曲に少し異なる複数の楽譜が存在する」という事情がクラシック音楽にはあります。それは、校訂者による違い、という問題です。
ピアノの楽譜に限っていうと、校訂者は、作曲家が書き入れなかった「どの音をどの指で弾くか」という運指指示、そして、「どこでペダルを使うか」というペダリング指示を補完して書き込んだりします。それ以外にも、ショパンのように複数の原典版が存在する場合は、「果たしてショパンの真意はどこにあるか」という意図を残された複数の手稿譜などから推理して、場合によっては音の強弱を表す言葉や記号、音をつなげる指示であるスラーなど、細部のディティールに至るまで、取捨選択し、決断し、印刷された販売用楽譜に反映する作業を行うのです。
そのため、プロの演奏家は、同じ曲でも校訂者が違う(当然出版社も違います)楽譜を複数所有して比較検討することが多くなっています。古い時代の音楽を再現するには、異なる校訂者の目を通して見た「原典譜」を揃える必要性が感じられるからです。
ショパンの楽譜でいうと、同じポーランドのピアニストで政治家でもあった、イグナツ・ヤン・パデレフスキが校訂した「パデレフスキ版」、フランスのピアニスト、アルフレッド・コルトーが校訂した「コルトー版」、そして、現代になってポーランドのピアニストが再び原典を研究した「ナショナル・エディション、エキエル版」などが有名です。一方、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューマン、ブラームスといったドイツ系作曲家の楽譜では大変信頼があり、定番となっているミュンヘンの出版社、ヘンレ社の楽譜は、なぜかショパンに関してはあまり人気がありません。もちろん、版権の切れているショパン作品ですから、日本人の校訂による、日本の出版社のエディションも、たくさん存在します。