楽譜は何を伝えているか(12)

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   欧州のカトリック教会内での「聖歌を伝承するために、音楽を客観的に記録する手段が欲しい」という欲求から生まれた楽譜ですが、そこには、「域内の各地の教会になるべく正しく伝えたい」という要求も同時に存在したということは、先週みてきた通りです。

   中世と呼ばれる時代、教会でもっとも重要な書物、すなわち聖書が、同じ要求のもと、各地の修道院などで盛んに筆写されますが、残念ながら人間の筆写の能力で生み出される複製、コピーは、部数がたかがしれたものでした。

  • 音楽を記録することが様々な方法でできるようになった現代でも、楽譜(五線譜)はまだまだ音楽記録の主要な手段である
    音楽を記録することが様々な方法でできるようになった現代でも、楽譜(五線譜)はまだまだ音楽記録の主要な手段である
  • 音楽を記録することが様々な方法でできるようになった現代でも、楽譜(五線譜)はまだまだ音楽記録の主要な手段である

最古の印刷物は聖書

   書物の複製に革命的転換が起きたのが、1450年ごろ、ドイツのグーテンベルクが発明した活版印刷でした。実は、日本を含め東洋の国々では、木版や銅版を使った印刷は、もっと古い時代から、現在確認されているところでは9世紀ごろには中国に存在し、マルコ・ポーロや十字軍によって、15世紀ごろには欧州にも伝えられていました。しかし、それらが普及する以前に、鉛・錫、などの金属を使った活版印刷が発明されて、大量に印刷物が生み出されることになります。おそらく、東洋からは、印刷技術と同時に紙をすく技術ももたらされていて、羊皮紙などが主流だった欧州でも、印刷に適した紙が一般的になった、という印刷のための下地が整ったことも大きかったと思われます。

   最古の印刷物は、もちろん聖書。「グーテンベルク聖書」とよばれる15世紀初期の印刷物は、現在でも世界中に(日本にも)存在します。筆写技術と共に、文字を扱うことを独占してきた教会や修道院でしたが、印刷物によって、庶民にも文字が行き渡り、識字階級が一挙に増え、また知識の蓄積や外国文化の吸収が進んで、ルネッサンスなどのムーブメントが起きたとも考えられています。

   ただ、文字だけの印刷で、字が読めさえすればすぐに「本」として活用できる印刷物と、ある程度基礎知識があって、「五線譜」などを読み解く力がないとなかなか活用できない楽譜では、大きな隔たりがありました。現在でも、「音楽は好きなんだけど、楽譜は読めないし、苦手」とおっしゃる方々がいらっしゃることを考えても、印刷技術が発達したからといって、すぐに楽譜印刷が盛んになったか、というと、文字だけの本とはかなり事情が異なるであろうことが容易に想像できます。

ハーモニーは楽譜の発明の恩恵

   実際に、かなり古い時代から活版の印刷楽譜は存在しましたが、長い間、手彫りの木版摺り、銅版刷り楽譜と共存しましたし、「印刷楽譜」が音楽に大きな影響をもたらすのは、17世紀ごろからでした。それらが「音楽をヒットさせる」などの社会的影響を持ち始める、という意味では、音楽が市民階級のものになる19世紀になってからといえます。印刷による大量の楽譜の生産や流通は、活字の本と違って、かなり遅れました。

   ですが、それ以前に、楽譜が発明されたことによる音楽の大きな質的転換・・・つまりそれは手書き楽譜・筆写楽譜がまだメインだった時代のことですが・・・が起こっていました。

   楽譜が生み出され、当然のように「口伝で伝えていた音楽」より、複雑な音楽を記すことができるようになったため、音楽は高度化・複雑化していきます。それまでほとんどシンプルなメロディー、いわゆる単旋律だけだった歌が、複数の旋律を重ねて「ハモる」ということが試みられるようになりました。

   最初は2つのメロディーを重ねる・・いわゆる「二声」のものだったのですが、12世紀ごろ急速に発展していたフランス・パリの街にあらわれたペロティヌスという作曲家と、ノートルダム楽派とよばれる彼の周囲の音楽家たちが、三声、四声と旋律を重ねていく試行錯誤を行ったのです。「この重なりは美しい」とか、「これは濁って聞こえる」というような激しい議論が巻き起こったはずですし、いわば当時の「前衛音楽」でしたらか、受容には拒否反応もあったであろうし、当然時間もかかったと思われます。

   しかし、現在世界中の商業音楽は、この時期の欧州が原点となり生み出された「ハーモニー(和声法)」を使用しています。これはつまり、楽譜の発明の恩恵である、といっても過言ではありません。現在でも民族音楽などは口伝のみで記譜法を持たないものもありますが、そういった地域の音楽は、高度化に自ずと限界があるからです。

宗教音楽家たちがリズムやテンポを取り入れる

   メロディーが重ねられると同時に、最も初期の楽譜では未整備だった「リズムやテンポを記入する方法」が、次第に洗練されていきます。これは、急速に発展・繁栄するパリの街では、宗教的なもの以外の、いわゆる世俗的な音楽が影響したからです。

   現在ではいわゆる「吟遊詩人」と呼ばれている人たちが、宗教とは別のところで、パリの街で音楽を作っていました。恋愛をテーマとし歌ったものがかなりの割合を占めていましたが、それだけ「愛の歌」の需要があったということでしょう。街に滞在するだけでなく、欧州各地を旅して歩いてもいたので、彼らのつくる曲は隣国スペインにまだ残っていたイスラムの音楽などの影響も受けていました。

   そして、その生き生きとした音楽・・特にリズムの点において・・・を、あまりそれまでリズムやテンポを重視してこなかったキリスト教の宗教音楽家たちが取り入れていくのです。ペロティヌスなどが、「音符の長さ」を記入していく方法を編み出し、楽譜を改善していきます。現代の記譜法の「小節」を定めてから記入していく方法に比べてまだまだ未熟な点が多々ありましたが、それでも、「リズム」を記入できることになったことは、大きな前進でした。

音楽をどれだけ高度化・複雑化できるか

   旋律の複雑さ、単旋律でなく複旋律をしようしたハーモニーの出現、そして、リズム。音楽の主要な要素が出揃い、そして、それを楽譜に記入することが可能になったのです。「曲をすべて覚えていなくても良く、楽譜を見て演奏すれば良い」ということになると、一挙に音楽は複雑化しました。

   ちょうど13世紀~14世紀のキリスト教会は、「迷宮」を教会内に建築するのが流行となっていましたが、音楽もまた迷宮と言えるぐらいの高度に複雑化したものが生み出されていきます。それは音楽の探求というよりも、どれだけ高度化・複雑化できるか、という技術の試みのような側面も持っていました。

   楽譜の登場によって、そしてその改良によって、新たな「音楽を記す方法」が確立されると、音楽は、爆発的発展をしたのです。それは活版印刷が書物にもたらしたのと同じぐらいの革命的な転換で、それほど、「楽譜の発明」が欧州の音楽にもたらした影響は大きかったのです。

本田聖嗣

本田聖嗣プロフィール
私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミエ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラ マ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを 務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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