欧州のカトリック教会内での「聖歌を伝承するために、音楽を客観的に記録する手段が欲しい」という欲求から生まれた楽譜ですが、そこには、「域内の各地の教会になるべく正しく伝えたい」という要求も同時に存在したということは、先週みてきた通りです。
中世と呼ばれる時代、教会でもっとも重要な書物、すなわち聖書が、同じ要求のもと、各地の修道院などで盛んに筆写されますが、残念ながら人間の筆写の能力で生み出される複製、コピーは、部数がたかがしれたものでした。
最古の印刷物は聖書
書物の複製に革命的転換が起きたのが、1450年ごろ、ドイツのグーテンベルクが発明した活版印刷でした。実は、日本を含め東洋の国々では、木版や銅版を使った印刷は、もっと古い時代から、現在確認されているところでは9世紀ごろには中国に存在し、マルコ・ポーロや十字軍によって、15世紀ごろには欧州にも伝えられていました。しかし、それらが普及する以前に、鉛・錫、などの金属を使った活版印刷が発明されて、大量に印刷物が生み出されることになります。おそらく、東洋からは、印刷技術と同時に紙をすく技術ももたらされていて、羊皮紙などが主流だった欧州でも、印刷に適した紙が一般的になった、という印刷のための下地が整ったことも大きかったと思われます。
最古の印刷物は、もちろん聖書。「グーテンベルク聖書」とよばれる15世紀初期の印刷物は、現在でも世界中に(日本にも)存在します。筆写技術と共に、文字を扱うことを独占してきた教会や修道院でしたが、印刷物によって、庶民にも文字が行き渡り、識字階級が一挙に増え、また知識の蓄積や外国文化の吸収が進んで、ルネッサンスなどのムーブメントが起きたとも考えられています。
ただ、文字だけの印刷で、字が読めさえすればすぐに「本」として活用できる印刷物と、ある程度基礎知識があって、「五線譜」などを読み解く力がないとなかなか活用できない楽譜では、大きな隔たりがありました。現在でも、「音楽は好きなんだけど、楽譜は読めないし、苦手」とおっしゃる方々がいらっしゃることを考えても、印刷技術が発達したからといって、すぐに楽譜印刷が盛んになったか、というと、文字だけの本とはかなり事情が異なるであろうことが容易に想像できます。