「作曲家」という感覚は楽譜が作り上げた
そして、おそらく、楽譜のない時代は、「作曲者」という意識が低かった、または無かったと思われます。なぜなら、口伝えに人に曲を伝えても、あたかも伝言ゲームのように、それがまたさらに人に伝わる時に勝手に変化させられる可能性が大きいため、自分の曲であるなどと主張するのが虚しい場合が多かったと考えられるからです。
楽譜が出現すると、自分の意志の通り音楽を書き残し、保存することができるようになるため、「これは私が作曲したのだ」と人々が思い始めました。現代の著作権にもつながる話ですが、ごく当たり前の「作曲家」という感覚は、楽譜が作り上げた、といってもよいのです。たしかに、楽譜がない時代の音楽は、作曲家の名前が判明していない場合が多く、「伝承曲」とか「作者不詳」と記され、曲のみが伝わっていることが多くなっています。
「音楽を作曲する」という行為と、「その音楽の作曲家である」という概念は、いわば、楽譜が作り上げた、といってもいいわけです。楽譜は、それぐらい、大きく歴史を変えました。
しかし、楽譜は発展しながら、まだまだ音楽それ自体を変えていくことになります。
本田聖嗣