■『聞き書 緒方貞子回顧録』(編・野林健、納家政嗣 岩波現代文庫)
■『平和構築入門 ─その思想と方法を問いなおす』(著・篠田英朗 ちくま新書)
2019年10月22日に死去した、緒方貞子氏の訃報を機に、『聞き書 緒方貞子回顧録』(野林健・納家政嗣編 2015年 以下「回顧録」)への関心が高まっているという。単行本は日をおかず品切れになり、今年3月に、中満泉氏(国連事務次長・軍縮担当上級代表)の解説を新たに巻末に付して岩波現代文庫として発行された。
前回のこのコラムで紹介した故・瀧本哲史氏の著作でも、緒方氏が、国連難民高等弁務官として湾岸戦争に伴うクルド人難民の対処で、当時国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の保護対象ではなかった国内避難民の支援を決断したことを高く評価していた。「人間の安全保障」の提唱者の1人としても知られる。
米誌「タイム」が1995年の「今年の人」に
ちょうど、米誌「タイム」は本年3月5日に、過去100年分の「今年の女性」を発表し、緒方氏を1995年の「今年の人」に選出した。この企画は、米国で女性に参政権が認められてから今年で100年となるのを記念したものだそうだ。緒方さんについては「『小さな巨人』と呼ばれた緒方は手ごわい交渉人として知られた」とし、アフガニスタンやバルカン半島、ルワンダなどの危機で最も立場の弱い人たちを守るために指揮を執ったと評した。
「回顧録」は、「第1章 子どもの頃」から、「終章 日本のこれからのために」までの10章からなる。なお、「第2章 学生時代」で、緒方氏は、聖心女子大学の第1期生で、30人ぐらいのクラスだったそうだ。同級生に、『ミラノ 霧の風景』、『コルシア書店の仲間たち』などで知られる須賀敦子氏がいたほか、周りの多くが欧米で勉学を続けたいとしていたというが、日本の教育におけるカソリックの影響という点からも注目される点だ。やはり、白眉は、第6章・第7章の「国連難民高等弁務官として」になるだろう。
緒方氏は、本書によせた「はしがき」で、「回顧録」を読み返して、「普段はあまり気にしないが、そういうことだったのか、と改めて気づかされた点がいくつかあった」という。ひとつは、「自分から手を挙げて始めた仕事はあまりなかったということ」だ。「いずれもどんな仕事か想像もつかなかったが、自分の能力をあれこれ考えていたらこういう類の仕事はできなかったかもしれない」とする。また、「世界が大きく変動する中で仕事をしてきたのだ」という。「時代が大きく動くと、そこに従来なかったような問題が生じ、その問題の底辺にはいつも、人間として見過ごせないような過酷な状況に陥る人々がいる。・・私が取り組んだことの多くは、世界が変化する中で一番苦しんでいる人々に寄り添うような仕事であった」のだ。実務にあたりながらも、国際政治学をカリフォルニア大学バークレー校で修め、政治学の博士号をもつ、知的訓練の所産も貢献したことを認める。
最後に、日本について、「豊かで安定してはいるが、日本は政治のみならず、経済、社会、教育まで大きな問題を抱え、その課題への向き合い方がよく見えなくなっているように感じることがある。杞憂であることを念じている」とする。
「人間の安全保障」にもつながる指摘
最近では、コロナウィルス感染問題への論評(「日本モデル vs. 西浦モデル2.0の正念場」シリーズ)がよく知られている、篠田英朗・東京外国語大学教授の専門分野での著作に「平和構築入門-その思想と方法を問いなおす」(ちくま新書 2013年)がある。
本書は、故・大沼保昭・東大名誉教授の遺著「国際法」(ちくま新書 2018年)で、「平和構築の方法と思想を体系的に描き出すと同時に、国際法が国際政治や人道支援の現場ではたす役割についても考えさせる好著」と高く評価されている。篠田教授は、「第6章 人命救助は平和をつくるのか?―人道部門の平和構築」で、人道援助は「人道的であるがゆえに、集合的な社会の仕組みを中心的には論じないのである」と喝破している。そして、「人間だけでなく、『社会』の改善をふまえた人道援助活動がありうるのか、ありうるとすればどのような形態になるのかは、全て今後さらに精緻化していかなければならない課題であろう」というのだ。緒方氏の現場主義から生まれた「人間の安全保障」にもつながる指摘だ。緒方氏は、これからの日本に対して、「世界は多様性に基づく場所だということを心底から受け止め、自らも多様性を備えた社会に成長していくこと」に期待をかけた。篠田氏は、「緒方氏の訃報に接して、今あらためて学び直すべきなのは、緒方氏の人道主義の信念と同時に、国際政治の中で生き抜く逞しさである」と強調していた(「緒方貞子とは何者だったのか? 激動の世界を生き抜いた逞しさと信念」(2019年11月13日 現代ビジネス)。先週、歴代1位の長期政権の終わりという1つの区切りが見えた今、今後の日本の針路を考える上で、緒方氏の「回顧録」や篠田氏の好著をひもといてみる意義は高いと思う。
経済官庁 AK