Tarzan(8月27日号)の「感覚的身体論」で、東海林さだおさんが文筆の仕事について書いている。本業の漫画家を肉屋にたとえれば、文章はその店頭に並ぶコロッケのようなものだと。食べ物にたとえるのが、いかにも東海林さんらしい。
各界の著名人が、仕事と体の関わりを短期連載で綴る企画。その初回である。
「漫画が売れるようになって、そのうち文章を書くようになった。漫画家にルポを書かせる仕事が今もあるでしょう...漫画を描いてたら出版社から文章の依頼が来るようになって、やってるうちに文章の仕事がだんだん増えていった感じですね」
「絵心のある物書き」は発注側も重宝する。東海林さんの場合、いまの仕事量は漫画と文章が半々とのこと。ただ、本業はあくまで漫画家だと自覚しているようだ。
「だから、副業ですよ。お肉屋さんが店先でコロッケ売ってる。あんなような感じ。日頃から肉を扱ってるわけだし、せっかくなので材料をおいしく食べてもらうためにコロッケも出したら評判で、日によってコロッケがよく出たりする」
自由業者には夜行性も多いが、東海林さんはいわゆる昼型で、だいたい午前11時から午後7時頃までの8時間を仕事に充てる。複数の連載を抱え、肉とコロッケの締め切りが押し寄せてくる「ショージ精肉店」。近づいたものから順に、店主はどんどん作っていく。
「50年以上こんな生活が続くとは思わなかったです...漫画だけじゃなくて文章を書くのがこんなに楽しくなるなんて最初は思いもしませんでした」
展開とリズム
同じ創作物でも、漫画とエッセイはかなり違うという。漫画はまずアイデアだ。想が浮かぶと、ケント紙に下書きを描いていく。そうなるともう、変更は難しい。
「ところが文章はね、途中でいくらでも変更できちゃう。書いてるうちに全然違うところに行っちゃう。ライブ感覚というか、文章はそれが面白いですね。逆にいうと漫画はね、描き始めたらあとは作業になります。そこの感覚が大きく違いますね」
東海林さんの文章は改行が多い。「だから手抜きだって言われるんですよ。スカスカって...改行したほうが読みやすいと思ってそうしてるんです」
「散文というのは、どうしてもダラダラしがちなんですよね...極力ね、接続語は排除しています。わざと飛躍させて、あれ?と思うと次の一文でつながるようにすると躍動するんじゃないか。展開とリズムを感じる文章になるんじゃないか」
漫画のように起承転結があり、コマごとに展開していくスタイルこそ、読者に親切な文章になる。そんなふうに考えているそうだ。
「改行していく文体は最初からです。自分では気づかないでいたんですよね。そういうものという感覚で書いてました。サッと揚げて、サクサクッと食べてもらうコロッケみたいなものでしょうか」