「〇〇感」のウソ 金田一秀穂さんはスピード感も緊張感も信じない

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   サライ9月号の「巷のにほん語」で、言語学者の金田一秀穂さんが「スピード感」なる言葉への違和感を書いている。政治家や官僚が好んで使う、アレである。

   「この頃、『スピード感を持って解決したい』という言い方をよく聞くようになった。なんだか変だ」...冒頭からツッコミ態勢の先生、どのあたりがヘンなのか。

   スピード感という言葉で金田一さんが思い出すのは、汽車を歌った童謡だという。

   〈汽車 汽車 ポッポ ポッポ シュッポ シュッポ シュッポッポ...〉と勢いよく始まる『汽車ポッポ』のことだと思われる。

「早いぞ早いぞ、と汽車に乗った子供が叫んでいる。畑や家が飛ぶように過ぎ去っていく...ここで肝腎なのは、実際の汽車の速さではなく、速く感じる子供の興奮した感覚である。スピード感というのは、どう感じられるかということが問題なのだ」

   金田一さんによれば、ジェットコースターはそんなに速くはない。しかし速いように思わせなければ楽しんでもらえない。何より重要なのは、乗客の体感である。客を国民に置き換えれば、永田町や霞が関で使われる「スピード感」も同様だろう。

「『スピード感を持って解決したい』というのは、『速いように見えるように解決したい』ということで、本当に速いかどうかは置いておく、とりあえず気にしない、見ている人がどう思ってくれるかを気にしています、という告白である。それは困る」

   他方、多くは批判的な文脈で用いられる「やってる感」の言葉。こちらには「本当はやっていないのに、格好だけはやっているように見せている。パフォーマンスとしての言動」という批評意識が働いており、「〇〇感」の使い方としては正しいそうだ。

  • ジェットコースターはそんなに速くはない!?
    ジェットコースターはそんなに速くはない!?
  • ジェットコースターはそんなに速くはない!?

見てくれは忘れろ

   金田一さんが続けて俎上に載せるのは「緊張感」である。

「『緊張感を保ってしっかりと検討したい』、『緊張感を持って事に当たるよう指示した』と言っている大臣は、どう思って緊張感という言葉を使っているのだろうか」

   というのも、緊張感は緊張状態とは違い、本当に緊張しているわけではないからだ。

   ここで、葛飾北斎の二つの代表作が例示される。神奈川沖の大波に翻弄される小舟の客たちは緊張しているように見える。一方、赤富士はどっしりと、緊張とは無縁。ただどちらの構図にも緊張感が漂い、二つを傑作にしている。北斎自身はむしろリラックスしており、卓越した技術を駆使し、計算ずくで緊張感を醸していると金田一さんは見る。

「緊張しては仕事にならない。(緊張感という言葉を使う側は=冨永注)たぶん、まじめにとか、一生懸命にとか、手を抜かずに、などと言いたいのだろうと思う。しかし、緊張感を持ってと言うと、何やらカッコいいように思える。軽薄である」

   そして結語は、明らかに為政者に向けた手厳しいメッセージである。

「見せかけでなくやってほしい。手抜きせずにしてほしい。見てくれは忘れろ。見せ方はどうでもいい。実質が問題なのだ。それを私たちは見ているのだ」

もともとの軽薄に手垢が

「顕在化する課題にはスピード感をもって万全の...」(安倍首相、7月30日)
「これからも緊張感をもってコロナにしっかり対応...」(小池都知事、7月5日)
「より一層、緊張感をもって政権運営に当たっていく」(安倍首相、8月6日)

   金田一さんが疑義を呈する「〇〇感」は、政界の流行り言葉といってもいい。軽薄な語感に、いまや手垢がつき始めた。言葉の専門家に指摘されるまでもなく、ごまかし、まやかし、その場をしのぎたいという心根の目印、なのだ。

   汽車ポッポの歌には、こんな詞が出てくる。

   〈スピード スピード 窓の外 畑もとぶとぶ 家もとぶ〉...なかなかの疾走「感」である。75年前の歌詞だから、スピードという言葉は外来語でも古参の部類なのだろう。

   スピードこそ進歩、という時代が確かにあった。これに「感」をつけて俗事に多用することで、希望や未来や進歩といった含意を台無しにした罪は、決して小さくない。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。

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