人間の複雑さを表現する後期ドビュッシーの世界
ドビュッシーが大変影響を受けたヴェルレーヌの「月の光」という詩の中に「マスクとベルガマスク」という一節があります。これはもちろん韻を踏んでいて・・というか駄洒落に近いと私は思うのですが、フランス語で「イタリアのベルガモ地方風の」という「ベルガマスク」と、「仮面」の「マスク」をかけています。少し先輩の作曲家フォーレは、この題名で舞台音楽とそれから抜粋した管弦楽組曲を残しています。ドビュッシーは、同じことをしたくなかったから「仮面(マスク)」を「ベルガマスク組曲」に入れなかったのでしょうか?
真相は分かりませんが、この曲を書いたのは1904年、ドビュッシーが「ベルガマスク組曲」として最終的に組み合わせた4曲を1890年ごろに書いてからすでに15年近くが経っていました。その間に彼の作曲スタイルも随分と変化し、また、彼自身の立場も、新進気鋭の作曲家から、押しも押されもせぬフランスを代表する作曲家、と変わっていたのです。
そして、この年、ドビュッシーは妻帯者でありながら、のちに後妻となる既婚女性と不倫騒動を起こし、パリの社交界に居辛くなって、ブルターニュ地方などに逃避行を行っていました。その中で、「仮面(マスク)」と「喜びの島」が書かれたのです。そして、彼自身が、フランス史に名を残す名ピアニスト、マルグリット・ロンに「この仮面は、イタリア即興喜劇のマスクではなく、人間存在の悲劇の表現である」と言い残しています。
この言葉が、どれだけドビュッシーのプライベートの生活と直接リンクしているのかは想像するしかありませんが、単純にイタリアのベルガモ地方の美しさを讃えたり、ルネッサンスの即興喜劇にオマージュを捧げているように聞こえる美しい「ベルガマスク組曲」に加えるには、「仮面(マスク)」は、ひょっとして複雑かつ現実的、そして、韜晦(とうかい)だったのかもしれません。私には、少なくとも「ベルガマスク組曲」のシンプルで、ストレートな美しさよりも、「マスク」はその名の通り、喜劇や悲劇を表す極端なキャラクター・・つまり即興喜劇に登場し、現代ではサーカスやパントマイムにその姿を伝えるピエロやアルルカン、といった存在です・・・を通じて人間の複雑さを表現する「後期のドビュッシーの諧謔(かいぎゃく)的な世界」が広がっているような気がします。
マスクは人の表情を隠しますが、ドビュッシーの「マスク」も、その影に隠れた彼の真意を想像しながら聴くと、なかなか味わい深い、彼ならではの作品です。
本田聖嗣