クラシック音楽の歴史の中で、ロマン派の初期の頃ぐらいまで、作曲家は演奏家も兼ねていました。政治的な革命によって王族貴族のものだった音楽が市民のものになり、産業革命によって楽器の性能が金属材料などを使って飛躍的に伸びた19世紀初頭から、演奏に高度な技巧と専門性が求められるようになり、作曲家と演奏家が次第に分離していきました。
作曲家より圧倒的に演奏家として名を残した人物・・・ヴァイオリンにおいては、19世紀前半に活躍したニコロ・パガニーニが代表的な存在ですが、「ヴァイオリニストの王」と呼ばれたヤッシャ・ハイフェッツも、その演奏で人々を魅了し、20世紀に大きな足跡を残しました。
世界中で演奏会を開く
1901年、当時はロシア領だった現・リトアニアのヴィリニュスに生まれたハイフェッツは、地元とサンクト・ペテルブルクで教育を受けました。幼少時より人前での演奏で天才的な才能を発揮した彼は、10代の初めにはベルリンなど西欧諸国でも評判となり、欧州をくまなく演奏旅行して廻りました。米ニューヨークのカーネギーホールでも、1917年に弱冠16歳でデビューし大好評を得ましたが、祖国ロシアで革命が起き、そのまま米国にとどまる道を選んだのです。以後、大人気となった米国内でのツアー、海外ではパリやロンドン、日本にも来日して演奏会を開き、グローバルな活躍を見せます。
第一次世界大戦を経て荒れ果てた欧州にかわって先進国となった米国では、最先端の録音技術もあり、ハイフェッツはたくさんのレコーディングも行います。1934年には、祖国ロシアの地にも久しぶりに演奏旅行に出かけ、10回を超える演奏会を行いました。
世界中で演奏会を開くハイフェッツのレパートリーの中には、彼自身によって編曲された作品も多く含まれていました。ちょうど13歳の彼の演奏をベルリンで聞いて驚嘆した名ヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラーも、数々の自作曲や編曲作品を演奏会で取り上げたように、ハイフェッツも、ヴァイオリンの魅力をより一層引き出すために、本来は他の楽器や声のために書かれた様々な曲を編曲したのです。