韓国の財閥令嬢と北朝鮮将校の極秘ラブストーリーを描いた韓国ドラマ『愛の不時着(ふじちゃく)』が日本でも大ヒットしている。韓流映画、韓流スターの人気が日本の女性ファンを中心にすっかり根付き、文化的な面での日韓交流は活発かつパイプも太い。
しかし、政治の面では、日本の統治時代(1910年~1945年)に日本企業で働いた元労働者や遺族による元徴用工(ちょうようこう)訴訟以降、双方の主張がぶつかりあい、歩み寄りの気配すら見えない。
一衣帯水(いちいたいすい)の国同士、解決に向けて何らかの糸口を見つけ出す必要がある。
政府担当者が相手国市民とやりとり
公益財団法人韓昌祐・哲(ハンチャンウ・テツ)文化財団から2018年度に助成を受けた上智大学グローバル教育センター 特任助教の李苑暻(リ・ウォンギョン)さんは、日韓両国の新しい外交の可能性を、デジタル分野から探る研究をしている。研究テーマは、<デジタル外交>。
あまり耳慣れない言葉だが、<デジタル外交>とは、ウェブサイトやSNS、モバイルアプリケーションなども含めたデジタルのツールを利用し、情報を伝え、相手国の国民にメッセージを発信する活動を意味する。
<デジタル外交>を考える上で不可欠なのが、パブリック・ディプロマシー(PD=広報・文化外交、対市民外交)の考え方だと、李さんが指摘する。
PDとは、政府間同士の正面切った外交でなく、関係国の一般国民、市民を対象にした文化的な交流を含む「もう一つの外交」と言っていいだろう。
PDは、1960年代に米国で生まれた。PDの影響によってさまざまな民間団体が関わるようになり、二国間で姉妹都市の提携を結ぶなど、市民レベルの草の根交流が活発化した。
日本や韓国がPDに本格的に取り組み始めたのは、この15~20年ぐらいの出来ごとだという。
対市民外交でもあるPDは、折しも普及し始めたインターネットと連動し、それまでにはなかった外交の方法が生まれたのだ。
「これまでのように一般人を対象にしていた政府のPR活動とは違い、デジタル上で何かを発信すると、それを見た市民がすぐにコメントをつけたりできる。返信することもできる。政府の担当者が相手国の市民ともやりとりするという形になって来ました」
李さんは、<デジタル外交>の特徴をそう語る。
助成事業の「日本と韓国のデジタル外交の現状と両国間の相互理解のための課題」では、2000年代以降の日本と韓国の外交を、文献調査や現地調査、ネット上のサイバー空間での談話、大使館員へのインタビューなどさまざまな方法を用い、両国の<デジタル外交>の特徴と変化を調査した。
また、特に<デジタル外交>として提示されているコンテンツを分析し、日韓両国にどのような認識の違いがあるかなどを明らかにした。
まず、取りかかったのは日韓両国の<デジタル外交>の関連組織とそのホームページ、SNSの整理だった。
日本側には、「外務省柔らかツイート」のアカウントや、外務省の公式YouTubeがあり、後者は主に英語で発信されている。
「外務省柔らかツイート」の発信者は、外務省IT広報室が担当になっている。7月中旬時点でのフォロワー数は、33.1万件。ツイートは、世界の観光地をカラー写真で紹介するようなソフトな内容だ。
日本大使館は日本語と韓国語のツイッター発信し異なるコンテンツも
一方で、「韓国は重要な隣国」という表現が3年ぶりに復活した『外交青書(がいこうせいしょ)2020』については、外務省のツイートで気に入ったものをリツイートしたりする人もいる。
外交青書とは、外務省が「国際情勢の推移及び日本が行ってきた外交活動の外観をとりまとめたもの」で、1957年9月の第1号以来、毎年公表されている。
各省庁は、管轄分野のデータを開示し、年次報告書として白い表紙の『○○白書』を出している。
外務省も『開発協力白書』を刊行しているが、外交だけは青い表紙の『青書』になっている。
「数年前から戦後の全ての『外交青書』がインターネット上で閲覧できるようになっています。しかし、わたしの講義を受けている聴講生に聞いたところ、アクセス経験がある人は0人です。『外交青書』の存在を知っている人は、数人に過ぎませんでした」と李さんが明かす。
それは韓国側も似たようなもので、せっかくSNSで発信された情報も、相手国の関係者か専門家にしか浸透していないのだという。外交文書は、一般市民にとってどこか縁遠く感じられるもののようだ。
他方韓国では、最新の<デジタル外交>の特徴として、外交部(日本でいう外務省)が「国民外交」というPDの窓口としてモバイルアプリケーションを利用していることがあげられる。現在は韓国語版のみだが、今後利用できる言語を追加する予定である。
また韓国外交部は、Facebook を積極的に活用し、日本の大学生を対象にSNSサポーターズを募集している。ほかにも麻布の駐日大韓民国大使館や四谷にある韓国文化院の公式ツイッターなどがある。
李さんは、これらの実態をより詳細に知るために、韓国外交部と韓国内にある日本の政府機関を訪問し、聴き取り調査を行った。と同時に、両国の<デジタル外交>に関するメディア報道の分析も実施した。
そこで着目したのは、韓国外交部や日本の外務省の責任ある立場の官僚が、どのような目的をもってコンテンツを管理・発信しているのか。政策である外交目標が<デジタル外交>にどのように反映されているのか、という点だった。
調査から見えて来たものは、幾つもあった。駐日大韓民国大使館は、かつてSNSの情報発信や管理を外部のPR専門家などに委託していた。しかし、今では直接、外交官や専門職員が担当するように変わっていた。
ソウルの在大韓民国日本国大使館は、ツイッターを日本語(@JapanEmb_KoreaJ)と韓国語(@JapanEmb_KoreaK)で、それぞれ異なるコンテンツを発信している。伝統から現代まで多様な日本文化を紹介する公報文化院は、韓国のポータルサイトNaverのブログを使い、韓国語で積極的に運営するようになっている。近年は、大使のインタビューを掲載するなど、<デジタル外交>の活動範囲は確実に広まっていた。
欧米に比べて少ない東アジアの研究
こうした日韓両国の<デジタル外交>の詳細を知るために、公益財団法人韓昌祐・哲文化財団の助成金は、韓国外交部の担当者や専門家、両国大使館への直接的な調査や海外での学会参加旅費として計上。またSNSコンテンツ分析と最新機器への対応状況を明らかにするため、モバイルデバイスや、スマートウォッチ、スマートスピーカーなどを設備購入費に充てた。
2020年1月下旬、米国ハワイ州で開かれた学会「太平洋電気通信協議会(Pacific Telecommunication Council: PTC)」に出席、『Digital Diplomacy between Korea and Japan』のタイトルで研究成果を発表した。
この発表に対し、「北米、ヨーロッパ、オセアニアでは多様な関連研究が行なわれているが、東アジアの分析は少なく、日韓貿易紛争がグローバル問題として注目される中でタイムリーな研究である」と高く評価された。
現在、日本語と韓国語の論文を作成中で、2020年中に両国の国際政治学会等の学会誌に投稿する予定だ。また、作成中の論文の一部は、ワーキングペーパーとして、ウェブサイトで公開している。
そもそも李苑暻さんが、<デジタル外交>を研究するようになったのは国家の役割について関心を持ったことが出発点だった。韓国の高麗(コリョ)大学校で英語英文学と政治学を専攻し、卒業後に世界最大級の電子製品メーカー三星(サムスン)電子に就職。働いているうちに本来国家が果たすべき役割を民間企業が担(にな)っていることに気づかされたからだ。
その一例が、電子製品に使われる金属が環境に負荷をかけるという問題だった。製造や使用の禁止など、他国間との交渉が必要になったが、国に専門家がほとんどいなかったため、会社が中心になって対応することになった。
そうした経験から、どのような時に国家が役割を果たせるのか、民間企業に勤めたことで、外交の重要性を考え直すきっかけになった。
その後、ソウル大学大学院外交学科の修士課程に進み、韓国科学技術政策研究院の研究員、駐日大韓民国大使館政務課の研究員、早稲田大学大学院国際情報通信研究科の博士課程を修了し、上智大学グローバル教育センター特別研究員をへて現職に至っている。
日韓関係がこじれ、ネット上ではヘイト的な右翼的言説(げんせつ)が溢(あふ)れる時代になった。外交的な対立を<デジタル外交>によって相対化し、健全なものへと変えることもできる。しかし、感情的な言葉に外交が影響を受けることもある、と李さんは将来的な<デジタル外交>の課題を感じ取っている。
「最近の若い人たちは特に、自(みずか)ら調べることをしなくなっています。サイバー空間からもたらされた情報を受け取るだけでは、偏(かたよ)った考えに影響されます。ますます情報リテラシー教育が必要な時代になると思います」
日韓両国の相互理解と平和共存のために、専門家として李さんは今後の課題を提示する。 (敬称略)
(ノンフィクションライター 高瀬毅/写真 渡辺誠)