楽譜は何を伝えているか(8)

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   「楽譜の発明者」として知られている、11世紀イタリアの修道士、グイード・ダレッツォに関しては、古い時代のことですから、全てが明確にわかっているわけではありません。生年も991年、992年などの説があり、誕生した地も、アレッツォやフェラーラの近くといったイタリアの各地から、フランス生まれという説さえあります。アレッツォの街に大きな銅像が立っていますが、この街だけでなく、北イタリアの各地の教会に勤めたようです。

   あまりはっきりしたことがわかっていないので、「楽譜」というものが、彼一人の独創によってすべて作り出された・・というのはちょっと大袈裟かもしれません。もしかしたら、同時代の、記譜法を工夫した人々の集合知、それを象徴した人物としてグイードという存在が語られている可能性もあります。

  • アレッツォの街に立つグイードの銅像。本名はグイード・モナコである。「アレッツォのグイード」と呼ばれるのは、レオナルド村のダ・ヴィンチなどと同じであるが、彼の発明も、音楽に大きな影響を与えた
    アレッツォの街に立つグイードの銅像。本名はグイード・モナコである。「アレッツォのグイード」と呼ばれるのは、レオナルド村のダ・ヴィンチなどと同じであるが、彼の発明も、音楽に大きな影響を与えた
  • アレッツォの街に立つグイードの銅像。本名はグイード・モナコである。「アレッツォのグイード」と呼ばれるのは、レオナルド村のダ・ヴィンチなどと同じであるが、彼の発明も、音楽に大きな影響を与えた

ネウマ譜の表記方法の標準化と明確化

   しかし、確かなことは、彼は修道士と教会の聖歌隊に関わり、聖歌の伝承と聖歌隊の練習に大変苦労している現場のことを知り、なんとかそれらを効果的にできないか、と考えたことと、彼が考え出した新たなる音楽記載の方式・・・のちに「楽譜」となって結実する・・と、それを使用した聖歌隊の訓練方法が評判となり、ローマ教皇庁にたびたび呼び出されて、デモンストレーションを行なったということ。これは記録があるので歴史的事実と断定できます。

   先週見てきたように「ネウマ」と呼ばれる、聖歌のラテン語の歌詞の周辺に「音を上げる」とか「音を下げる」とか「少し長めに」という印をつけた原始的な楽譜は、欧州各地にすでに広く存在していました。しかし、これはあくまで「聖歌を知っている人のメモ」という程度の存在で、これだけでは、音楽を再現できず、まったくの初心者・・多くは新人修道士・・・に聖歌を教え込むには、一緒に根気よく歌って聞かせる以外の教育方法がなかったのです。80時間に及ぶ教会の聖歌のレパートリーを全て伝えるには、軽く10年はかかってしまいます。

   グイードは、各地でバラバラだったネウマ譜の表記方法の標準化と明確化に取り組みました。現在の楽譜では当たり前のことですが、「1つの音はかならず1つの記号で表される」ということと、「左から右に、歌う順序で並べられる」ということなどです。そして、1番重要な音の高さを表すために、4本の平行な線を引いたのです。そして、上から2本目の線に赤い色をつけて、その線の上の音を「いつも同じ高さのFという音」としたのです。実際には、先に1本赤線を引くことを思いつきそこにFを対応させ、その次に下に黒い線を引きCという音を対応させ、それがなかなか便利なので、さらに本数を増やして4本にした・・という発明の順序だった可能性もあります。

   ともあれ、「4本の線を引き、その上につけられた印が音の高さを表す」ということと「上から2本目を基準とするが、同じ高さに書かれた音は、いつも同じ音である」という統一を行ったために、彼は「楽譜の発明者」と言われるようになったのです。確かに、この原則で書かれた楽譜があれば、知らない曲でも、音の高さを正確に読み取ることができます。

「ドレミファソラシド」を決めた

   教会の中で男声合唱のみだったため、使える音域が狭かったということと、弦楽器などが4弦のものが多かったため、「5」線譜ではなく4線譜だったようですが、これは時代が下って、もっと広い音域をカヴァーするためと、5本の指で引く鍵盤楽器が現れたことで五線譜となっていきます。また、現代では「おたまじゃくし」と言われて丸く書かれる音符ですが、初期は、四角い印でした。そして、初期の楽譜はテンポやリズムのことを考慮していませんでしたが、これも「左から右へ常に進む」という規則のもと、表記が可能になっていきます。

   このように、現代の「楽譜」にたどり着くにはさらに長い時間が必要でしたが、グイードの、「平行な線を引き、そこに書かれた印で音の高さを表す」という斬新な発想は、楽譜を生み出し、音楽の歴史を変えてゆきます。

   グイードは、同時に更に2つの大きな業績を残しました。一つは、この「楽譜」に書かれた指示を聖歌隊に正確に伝えるための忙しい聖歌隊長が使うと便利なハンドサインです。これは「グイードの手」と呼ばれました。

   もう一つ、楽譜に書かれた「同一の表記は同一の音の高さを表す」に関して、音の高さの基準を決めたのです。これも革命的といってよい大きな発明でした。ただ、これも長い物語になるので、また別の機会にしたいと思います。一言でいえば、現代の我々が知っている「ドレミファソラシド」を決めたのです。

   これらの発明によって、初めて、音楽は紙に書くことができるようになりました。彼自身が1030年頃に発表された聖歌集の序文の中で、「神の恩恵により、本書を利用すれば、誰でも聖歌を習得できる。ちゃんとした教師について、一部分を教えてもらえば、後は自分の力で理解することができる。疑うようであれば、私が指導した少年たちが、自分たちで聖歌を正しく歌えるようになった事実を見てほしい」と書き残しています。

   このことを見ても、数百年間、聖歌の教育と伝達に苦労してきた欧州の教会の中で、グイードはついに、「楽譜」という、各種の客観的パラメーターを書き込み、音楽をそれのみで再現可能なものを発明した、と言えましょう。欧州の音楽が、楽譜によって発展し、世界に広がる出発点であり、それまで即興や口伝であやふやにしか存在できなかった音楽を大きく変えることとなります。

本田聖嗣

本田聖嗣プロフィール
私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でプルミエ・プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目のCDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラマ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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