「ドレミファソラシド」を決めた
教会の中で男声合唱のみだったため、使える音域が狭かったということと、弦楽器などが4弦のものが多かったため、「5」線譜ではなく4線譜だったようですが、これは時代が下って、もっと広い音域をカヴァーするためと、5本の指で引く鍵盤楽器が現れたことで五線譜となっていきます。また、現代では「おたまじゃくし」と言われて丸く書かれる音符ですが、初期は、四角い印でした。そして、初期の楽譜はテンポやリズムのことを考慮していませんでしたが、これも「左から右へ常に進む」という規則のもと、表記が可能になっていきます。
このように、現代の「楽譜」にたどり着くにはさらに長い時間が必要でしたが、グイードの、「平行な線を引き、そこに書かれた印で音の高さを表す」という斬新な発想は、楽譜を生み出し、音楽の歴史を変えてゆきます。
グイードは、同時に更に2つの大きな業績を残しました。一つは、この「楽譜」に書かれた指示を聖歌隊に正確に伝えるための忙しい聖歌隊長が使うと便利なハンドサインです。これは「グイードの手」と呼ばれました。
もう一つ、楽譜に書かれた「同一の表記は同一の音の高さを表す」に関して、音の高さの基準を決めたのです。これも革命的といってよい大きな発明でした。ただ、これも長い物語になるので、また別の機会にしたいと思います。一言でいえば、現代の我々が知っている「ドレミファソラシド」を決めたのです。
これらの発明によって、初めて、音楽は紙に書くことができるようになりました。彼自身が1030年頃に発表された聖歌集の序文の中で、「神の恩恵により、本書を利用すれば、誰でも聖歌を習得できる。ちゃんとした教師について、一部分を教えてもらえば、後は自分の力で理解することができる。疑うようであれば、私が指導した少年たちが、自分たちで聖歌を正しく歌えるようになった事実を見てほしい」と書き残しています。
このことを見ても、数百年間、聖歌の教育と伝達に苦労してきた欧州の教会の中で、グイードはついに、「楽譜」という、各種の客観的パラメーターを書き込み、音楽をそれのみで再現可能なものを発明した、と言えましょう。欧州の音楽が、楽譜によって発展し、世界に広がる出発点であり、それまで即興や口伝であやふやにしか存在できなかった音楽を大きく変えることとなります。
本田聖嗣