「楽譜の発明者」として知られている、11世紀イタリアの修道士、グイード・ダレッツォに関しては、古い時代のことですから、全てが明確にわかっているわけではありません。生年も991年、992年などの説があり、誕生した地も、アレッツォやフェラーラの近くといったイタリアの各地から、フランス生まれという説さえあります。アレッツォの街に大きな銅像が立っていますが、この街だけでなく、北イタリアの各地の教会に勤めたようです。
あまりはっきりしたことがわかっていないので、「楽譜」というものが、彼一人の独創によってすべて作り出された・・というのはちょっと大袈裟かもしれません。もしかしたら、同時代の、記譜法を工夫した人々の集合知、それを象徴した人物としてグイードという存在が語られている可能性もあります。
ネウマ譜の表記方法の標準化と明確化
しかし、確かなことは、彼は修道士と教会の聖歌隊に関わり、聖歌の伝承と聖歌隊の練習に大変苦労している現場のことを知り、なんとかそれらを効果的にできないか、と考えたことと、彼が考え出した新たなる音楽記載の方式・・・のちに「楽譜」となって結実する・・と、それを使用した聖歌隊の訓練方法が評判となり、ローマ教皇庁にたびたび呼び出されて、デモンストレーションを行なったということ。これは記録があるので歴史的事実と断定できます。
先週見てきたように「ネウマ」と呼ばれる、聖歌のラテン語の歌詞の周辺に「音を上げる」とか「音を下げる」とか「少し長めに」という印をつけた原始的な楽譜は、欧州各地にすでに広く存在していました。しかし、これはあくまで「聖歌を知っている人のメモ」という程度の存在で、これだけでは、音楽を再現できず、まったくの初心者・・多くは新人修道士・・・に聖歌を教え込むには、一緒に根気よく歌って聞かせる以外の教育方法がなかったのです。80時間に及ぶ教会の聖歌のレパートリーを全て伝えるには、軽く10年はかかってしまいます。
グイードは、各地でバラバラだったネウマ譜の表記方法の標準化と明確化に取り組みました。現在の楽譜では当たり前のことですが、「1つの音はかならず1つの記号で表される」ということと、「左から右に、歌う順序で並べられる」ということなどです。そして、1番重要な音の高さを表すために、4本の平行な線を引いたのです。そして、上から2本目の線に赤い色をつけて、その線の上の音を「いつも同じ高さのFという音」としたのです。実際には、先に1本赤線を引くことを思いつきそこにFを対応させ、その次に下に黒い線を引きCという音を対応させ、それがなかなか便利なので、さらに本数を増やして4本にした・・という発明の順序だった可能性もあります。
ともあれ、「4本の線を引き、その上につけられた印が音の高さを表す」ということと「上から2本目を基準とするが、同じ高さに書かれた音は、いつも同じ音である」という統一を行ったために、彼は「楽譜の発明者」と言われるようになったのです。確かに、この原則で書かれた楽譜があれば、知らない曲でも、音の高さを正確に読み取ることができます。