学歴詐称の赤い靴 野原広子さんは「踊り続ける人生」を2年で降りた

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   女性セブン(7月9日号)の「いつも心にさざ波を!」で、オバ記者こと野原広子さんが自身のささやかな学歴詐称を告白している。胸にチクリと刺さる小さなウソである。

   選挙を前に学歴疑惑を報じられた「あの女性」の話を振りながら、野原さんは「実は私、2年間だけ、わけあって学歴を詐称していた過去があるの」と切り出す。

   まずは「公称」の経歴から。1957年に茨城県で生まれた筆者は、「ペンを持つより草刈り鎌を持つ時間の方が長い」地元の農業高校を出て上京した。「住み込みの店員になった18才の私にとって『大学生』は、学校や誰彼に関係なく、全員憧れだった」という。

   ライターを志した野原さんは30歳で独り立ち、編集プロダクションを立ち上げる。しかし40歳を前に経営が傾き、頼ったのが2歳上のブティック経営者S子だ。彼女が棟ごと所有する渋谷区のマンションに、格安家賃で転がり込んだ。

「S子さんの"好物"は学歴。誰かを紹介してくれるたびに、『彼女、ポン女(日本女子大=冨永注)卒。優秀よ~。お姉さんはお茶大(お茶の水女子大=同)だって。高学歴姉妹よね』などと、歌うように言うの」

   野原さんも当然のごとく学歴を問われたが、そのたびに言葉を濁したり、話題を変えたり。転居して間もなく、S子は「ヒロコちゃん、早稲田だよね?」と直球がきた。過去の発言から想像するに、物書きは早大が多いという先入観があるらしい。今回は「大家」の下問でもあり、野原さんは覚悟を決めて「私、早稲田、出てないよ」と打ち明けた。

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流れで「早稲田中退」に

   結局、野原さんは早稲田中退ということにされた。「あそこは中退の方がカッコいい。タモリも五木寛之も...」と畳みかけるS子を前に、本当のことは言えなかったそうだ。

「翌日からは、針のむしろ、なんてもんじゃないわよ...なんだかんだと言っては早稲田関連の人を連れてくるの...そのうち面倒になって、『私は中退だし、ほとんど学校には行っていないし、学生多いしね~』と、積極的に口から出まかせよ」

   そんな日々に耐えかねた野原さんは2年でまた引っ越し、彼女から離れた。

「ウソがウソを生むしかなくなる苦しみ。どこから"早稲田"が飛んでくるかと思うと、気が気じゃない。いつもどこか緊張して暮らしている」...そうした経験から、野原さんは学歴詐称にいささか同情的だ。詐称部分が「事実」として定着すれば、何より本人の気が休まらないだろうと...「硬い鎧を脱ぎ捨てたくなる夜もあるんじゃないか」
「"学歴詐称"をすると、青春を共にした人も、思い出も、みんなドブに捨てることになる。それをもったいないと思わないか。そこまでして得るものって何?」

   筆者は最後にアンデルセン童話「赤い靴」の女の子を引き合いに出す。呪いをかけられ、死ぬまで踊り続ける少女である。

「うまくいきすぎた学歴詐称に似ているような気がするんだわ」

一生それで通すしか...

   学歴や職歴に限らず、うっかり見栄を張った「自己紹介」があとで重くのしかかることはままある。年齢、出身地、親兄弟や配偶者の素性、交友関係...個人的な魅力や値打ちにはさして関係のない要素が、やがて自分を苦しめることになる。

   社会的地位を得て世評が定まるにつれ、周囲の視線、メディアのチェックはおのずと厳しくなるもの。自業自得といえばそれまでだが、「だって、こんなに有名になるとは思わなかったんだもん」というのが「詐称」当事者の本音に違いない。

   「うまくいきすぎた学歴詐称」という表現、なるほどと思った。若いうちにバレることがなく、どこかで訂正するチャンスにも恵まれず、「略歴」の重要部分として定まってしまう。公人であればあるほど、人生が終わるまでそっちで通すしかない状況である。

   そうなる前に「赤い靴」を脱ぎ捨てた野原さんは自分に正直なのだろう。そして、それをネタに一本書いてしまう図太さこそ、オバ記者を自称できる所以と見た。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。

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