正確であるべき聖歌が教育課程で変質
ここで問題が二つ起きます。口伝では、正確に伝わらないからこその問題なのですが、人から人へ口伝で、ものを伝える時、どうしても改変が起こってしまう、という点と、同じ人から二人以上の人に口伝で伝えた場合、等しく伝わることがむしろ稀である、ということです。
正確であるべき聖歌が、教育課程で変質してしまう・・しかも一人の教育に10年もかかるというのに!という問題と、聖歌隊は、独唱もありますが、多くは合唱ですから、大人数にどうやって正確に80時間ものレパートリーを伝えていくか、という問題が起こってきたのです。世俗権力が打ち立てた広大な面積の帝国・・中世のフランク王国などですが、その領土の隅々の教会にまで、「正確な聖歌の歌唱」が求められているのに、です。
楽譜という「紙に音楽を記す手段」を持っている現代の我々からしたら想像もつかない苦労ですが、中世の聖歌を扱う修道士たちは、この問題に本当に頭を悩ませたのです。
グレゴリオ聖歌の起源と同じく、由来がはっきりしないのですが、教会の聖歌の正しい歌い方を伝承し、それを各地の教会に届けるための学校、「スコラ・カントルム」というものが設置されます。最初は教皇の地、ローマに、そして次第に各地にも設立されていきます。数多い聖歌を「正しく」管理するだけでなく、その演奏法や演奏形式に関しても、また「ローマ帝国の子孫」を自称する中世の国の隅々まで、目を光らせたのでした。
この状況が、「楽譜」を生む土台として機能します。
「楽譜」的なものがなければ、とてもこのような「大量の聖歌を正しい形で欧州各地に届け、伝承させる」という途方もない事業は無理だったといえましょう。
しかし、それでも、楽譜が形になるまでには、さまざま紆余曲折があるのです。
本田聖嗣