先々週まで辿って来た、「楽譜誕生以前の歴史」をふりかえって整理すると、人類は文明を生み出したのとほぼ同じぐらい、いにしえの時代から、音楽を楽しんだり、使ったりして来ました。
同じ文明の共同体の中では音楽の共有は耳コピー・口伝えで十分ですし、音楽の作品・・現代風に言えば「曲」が毎回全く同じものである必要はなかったわけです。この辺りは、現代人の我々のカラオケに接する態度を考えれば納得がいきます。楽譜を読めなくても、カラオケは楽しめます。毎回音程が正確な必要も普通の人ならありませんし、歌謡曲なら十分耳コピーで覚えられます。また、カラオケでは二重唱ぐらいまではあっても「合唱」はほぼありません。そもそもマイクの本数が足りません。なので「大勢の人が同時に同じ曲を別のメロディーで歌う」なんてことは無いわけです。また、世界の多くの文明が生み出した音楽は、日本を含め、ほぼ「単旋律音楽」で、歌でハモる・・それも二人ではなく三人、四人、それ以上で・・・などという民族音楽はごくごく例外です。
そのため、世界は楽譜を生み出してこなかったのです。
「グレゴリオ聖歌」成立は教皇ではなく王家の意向?
クラシック音楽のルーツとされる、カトリックの古い典礼音楽、「グレゴリオ聖歌」は、教会改革を推し進めた7世紀のローマ教皇グレゴリウスI世が、欧州の広い地域のカトリック教会で統一された聖歌でミサが行えるよう、取捨選択と編纂と統一を命じた、と信じられていたためにこの名前がつけられました。グレゴリウスI世は実在の教皇ですが、現在ではこの説は「神話」にすぎないと、否定されています。
キリスト教誕生以前のユダヤ教の典礼音楽にもルーツを見出すことができるカトリック教会の聖歌は、パレスチナの地からローマ帝国に伝わり、ローマで発展し、帝国内の各地で歌われるようになりました。帝国が北部民族の侵入によって弱体化・東西に分裂すると同時に、帝国にとっては「野蛮の地」であった北部ガリア(現在のフランスにあたる地域)の聖歌なども吸収し、次第にローマでレパートリーとしての形がととのった、と考えられています。そして、フランスのカール大帝を始めとするカロリング朝の時期には、世俗権力が広大な地域を支配し、ローマ帝国の復活を夢見て、当時の識字階級であり頭脳であり教育機関であったカトリック教会に、規律を求めて「正しい聖歌のみを歌うように」というような命令があったそうですから、ひょっとしたら教皇ではなく王家の方の意向が強く働き、「グレゴリオ聖歌」が成立してきたのではないか・・とも考えられています。