5週続いた「楽譜のお話」は少しお休みをいただいて、今日は、思わず旅に出たくなる曲を一曲とりあげましょう。
「新型コロナ」がもたらした「環境の復活」
7月に入り、2020年も後半に入りました。本来ならば、日本では今年の下半期を迎えると同時に、いよいよ「日本で久しぶりに開催される東京オリンピック」が始まる予定でしたが、ご承知のように、全世界はそれどころではなくなってしまいました。
2020年の前半の・・もしかしたら、後半もですが、全世界で一番の話題は、新型コロナウイルス感染拡大です。中国由来のウイルスとされていますが、最新の研究によって、既に昨年末には欧州にも上陸していて、静かに感染を広げていた可能性が指摘されています。
2020年の年初では、欧州の人は、「遠い中国のウイルス感染症」「日本でも豪華客船が大変なようだ」とどこか遠い土地のことのように考えていた節があります。3月以降は他人事ではなくなり、7月現在、流行の深刻さは南北アメリカ大陸に移動したように見えますが、依然として、欧州の人的・経済的被害は甚大となっています。
発祥国の中国に倣って、被害の拡大が深刻だった欧州も、各国が国境を閉鎖し、街を封鎖する、いわゆる「厳しいロックダウン」を行なったため、ウイルスの流行には一定の落ち着きを見せましたが、一方で経済的打撃も深刻なものでした。日本も同じ課題で悩んでいますが、「どうやって感染症拡大を抑えつつ、制限をなるべくしない社会運営をしていくか」というところに議論は集中しています。
深刻な感染拡大の一方、その副次的効果として言われているのが、「環境の復活」です。移動制限をした国などが多かったために、航空機・鉄道・船舶・自動車・・と軒並み交通量が減り・・特に国際線の航空便はほぼ停止中です・・・大気汚染が劇的に減少し、「ここしばらく見たこともない綺麗な空」が戻ってきた、と様々な地域で言われています。
また、人間の街中での活動が減り、動物たちが我が物顔で都市の中を闊歩している・・などというニュースもありました。
普段なら世界中から観光客が押し寄せる島
フランスのテレビを見ていたところ、南イタリアのカプリ島の自然が蘇った、というニュースを取り上げていました。カプリ島とは、南イタリア、ナポリの沖のティレニア海に浮かぶ、面積は10平方キロメートルちょっと、ちょうど東京・千代田区ぐらいの面積の小さな島です。南伊の中心ナポリから船ですぐ、古代遺跡ポンペイからもさほど離れていない、という立地の便利さと、「青の洞窟」という名で呼ばれる海水によって削られた美しい侵食洞があることで、普段はイタリアのみならず世界中から観光客がひっきりなしに訪れます。しかし、当初はコロナ被害の一番深刻だったイタリアは、厳しいロックダウン政策を取り、カプリ島には、在住している7000人ほどの島民以外、誰も訪れない・・という期間が3か月も続きました。
そうしたらどうなったか・・・いつもは観光客を満載したモーターボートがひっきりなしに訪れる周辺の海と洞窟の中の水は澄みわたり、「青の洞窟」の青はますます綺麗に輝き、かき混ぜられないことによって魚たちの姿もくっきり見えるようになったそうです。また、カプリ島には、洞窟の色ではありませんが、体が青いトカゲが住んでいるそうですが、普段は観光客の多さに怯えてか、あまり姿を見せません。しかし観光客が一切いなくなった最近のカプリ島では、頻繁に姿が見られるようになったそうです。人間が環境に負担を掛けていた、ということがコロナ禍のおかげで明らかになってきたわけで、ウイルスを抑え込めた後も、「節度ある観光を」というようなことが提唱されはじめています。
まあ、今現在では、行きたくても行くことが出来ないカプリ島ですから、想像するしかありません。そんな時に聞きたいのが、ドビュッシーの「アナカプリの丘」。彼のピアノ作品としては最後期の曲集、前奏曲集 第1巻に納められている一曲です。アナカプリとはカプリ島の中の地名です。
4分間に閉じ込められた南国の風景と憧れ
ピアノ曲においても、大胆なハーモニーなどを使い、革新的な技法を用いて、フランス音楽の新たな地平を開いたドビュッシーが、イタリア南部の風光明媚な島を思い浮かべて書いたこの作品は、冒頭、どこからか聞こえてくる笛の音、もしくは風の音から始まり、そこに南国ならではの太陽が差し込む、そんな雰囲気で始まります。吹き抜けていく風の中に、島の歌が聞こえる・・そんなパッセージの後、中間部では、対岸のナポリの船頭たちが歌うナポリ民謡らしき歌が聞こえてきます。再び、カプリ島を吹き抜ける風らしき音楽の後、クライマックスがやってきて、最後は、南国の太陽の強い光が丘を照らす・・・そんな感じで輝かしく曲は閉じられます。
前奏曲集の中の1曲ですから、わずか4分程度の短い曲ですが、その中に閉じ込められた南国の風景と、そこへの憧れは、一瞬ですが、現地にいるよう錯覚さえもたらしてくれます。フランス人ですが、イタリア留学経験もあり、かつ、外国文化に対する好奇心も旺盛な円熟のドビュッシーが描いた、今だからこそ聞きたい一曲です。
本田聖嗣