独特な彩色技法の秘密は材料にあった
2009年9月に来日、2年間日本語学校に通って日本語を身につけると、この分野の最先端である東京藝大の大学院に進む。
だが、基礎を身につけるのは大変だった。修士課程の2年間で修理の基本を学べたのは紙本(しほん)の復元作業2点だけ。博士課程になると複雑な絵の復元を手掛けるようになるが、あまりにも繊細な作業のため、人によっては3年かけても終わらずに次の院生に引き継ぐこともあるという。
「私は藝大に入るまで模写を一度もやったことがなかったので、とても困りました。描いていると先生方が5~6人も来られて私を囲むんです(笑)。『なぜこの色を使ったの?』『その根拠は何?』『なぜこの葉っぱを先に描いたの?』などと訊(たず)ねられ、それに対してちゃんと答えられなくてはいけませんでした」
質問に答えるよう努力するうちに、自分で考える大切さを自覚し、それがのちに復元作業をする際にとても役立ったという。
日本画には「上げ写し」という技法がある。仏画を原寸大で撮影し、その上に紙を置いて写していく。大きなサイズの仏画は分割して撮影し、さらにパソコン上で詳しく確認する。その作業が終わると原寸大の写真を印刷して移す作業に入る。
「細かい画像をじっと見続けるため、どんどん視力が落ちてしまいました」
もう一つの技法は、ガラスに入れた仏画を隣に置いて、それを模写していく「臨写」(りんしゃ)である。
「正面から見るのと横から見るのとでは、絵の具の厚みが違うのです」
院生時代は厳しく基礎を叩き込まれた。岩絵具(いわえのぐ)や金泥の扱い方、筆の使い方。正確な復元作業を行うためには、まず材料の扱い方を含めた技法をしっかり身につける必要があった。
博士論文は「浅草寺(せんそうじ)所蔵『水月観音像』の復元研究――月光の表現について」である。浅草寺が寺宝として大切に受け継いできた「水月観音像」の想定復元模写を手がけた経験を、論文としてまとめたものである。
2018年3月、金は東京藝大大学院の博士課程を修了した。09年に来日してから9年近く。慣れない日本語と格闘しながらの学究・修行生活であった。
その経験が、次の奈良国立博物館所蔵「水月観音像」の想定復元模写制作に注ぎ込まれた。
「月光を表現するためには金泥をたくさん使います。金は衣や月に入ってくるだけでなく、実は岩の下にたくさん使われています。水源に近いほど金が濃い。水面にも細かい点々で金が入っています。普通に月の光が当たるなら、岩の上が光るはずなのに、なぜ岩の下にこれほど金泥が使われるのかが疑問でした。考えていくうちに、水から反射したものが光っているのだろうと思い当たりました」
たくさん使われる金泥によって、月そのものを描かなくても月光の反射をリアルに表現することで、月の存在を感じさせているのではないか。そういう発見の一つ一つが復元をしていく際の参考になる。確かに、高麗仏画の間接的な表現は繊細で美しく、品格を絵に与えている。
「問題は資金でした」
この作業を自力でやっていくには材料費をはじめとして多額の資金が必要だった。悩んでいたとき、大学の先生から韓昌祐・哲文化財団の助成金があると教えられた。申請すると助成計画の意義が選考委員会で高く評価され、助成対象者に決まった。
金泥、天然岩絵具、細い線を描くために特殊技法で作られた高価な絵筆、仏画にふさわしい装丁、ギャラリー展示のための賃貸料金や告知ポスター、資料制作その他、資金の使い道は実にさまざまである。
「助成金がなかったら取り組めなかったと思います」
金は、ただ仏画を復元するだけではなく、日韓両国、特に高麗仏画を見る機会が日本以上に少ない母国で広く見てもらいたいと考えていた。
「2020年2月19日から27日の9日間、ソウルのGallery Hanokで展覧会を開くことができました。残念ながら新型コロナウィルス騒ぎで、企画していたワークショップを開くことはできませんでしたが、思いがけないほどたくさんの人が来てくれました。4回も通ってくれた人もいました。私の話を聞いて自分で描いてみると、質問したいことが出てきたそうなのです。例えば韓国のやり方と明らかに違うところについて訊ねられたり、『大きな絵なのになぜムラなく彩色できたのか』と質問されたり。貴重な仏画の復元模写の許可をどのように取ったのかという質問もありました」