作品に宿る普遍性
石井さんは93歳。ということは向田邦子、存命なら90歳である。遺影の若々しさとの落差が改めて切ない。
石井さんといえばTBS時代の「肝っ玉かあさん」や「ありがとう」、フリーになってからは1歳上の橋田壽賀子さんと組んだ「渡る世間は鬼ばかり」で知られる。
同世代の向田を意識し、同じTBS系で向田が本に参加した「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などの人気ドラマにも注目していたに違いない。
向田の遅筆と乱筆には多くの伝説があるが、石井さんの証言通りなら、少なくとも「待たせている」意識はあったようだ。待つのはつらいが、待たされる甲斐はある。テレビ制作者も雑誌の編集者も、胃痛と祝杯の繰り返しだったことだろう。
没後30年にあたる2011年、NHKチーフプロデューサーとして短編小説『胡桃の部屋』をドラマ化した高橋練さんは、向田作品の魅力をこう語っている。
〈こんなに時代が変わっても、向田ドラマは文句なしに面白い。時代が違うからこそ、その普遍性が際立つ。ホームドラマに、ユーモアと毒を切れ味鋭く持ち込んだ凄さ。軽妙なシーンに、ぞっとするほどの毒や真理がある。ドラマとしての深度が半端じゃない〉
昭和という時代へのノスタルジーを超える普遍性。それは、生身の男と女の嫌らしさであり、人情の機微であり、滑稽な人間関係などなど。テーマが普遍的だからこそ、これからという時に創作活動が断ち切られた痛惜も延々と続く。石井さんのような業界人も、視聴者や読者も、それぞれの「向田ロス」をそっと抱えているのだろう。
冨永 格