「ハモる」音楽は世界の中でごく少数派
カラオケは、ほとんどの場合が「ソロ」です。中には男女のデュエットの曲などもありますが、それは少数派で、自分が歌えればそれで良い・・という装置ですから、これ以上のことは必要ないわけです。多少メロディーが怪しくても、迷惑をかけるのは、その場に一緒にいる「かなり音楽にうるさい人」くらいです。
合唱団のように「大人数で一緒に歌う」ということになれば、楽譜などの「音を正しく指示するアイテム」が必要となってきますが、大人数が同時に違う音を歌って響かせる・・いわゆる「ハモる」という音楽は、世界の中ではごく少数派でした。例えば、日本では、有史以来ほとんどこの「ハーモニー」という感覚はなく、メロディーだけの音楽が発達しました。これは、高温多湿で、家屋も木造が多く、欧州のように「石造りの教会の中できれいに声が響く」という状況がなかったからだ、と私は睨んでいます。
そして、「違う音を重ねて綺麗に響かせる」という場合には、音程を正しく歌う必要がありますが、和音を持たない音楽では、むしろメロディーの音程を動かす傾向にあります。日本の伝統音楽では、音程を微妙に揺らすということが頻繁に行われます。これは逆に西洋型の楽譜には馴染みませんし、演奏者の「センス」に任されている部分も多いので、楽譜に記される必要性もなかったのです。日本の音楽が持つ楽譜には、ある程度の音の高さだけが書いてあって、テンポなどの他の要素は師匠から習うことによってのみ習得できる・・という方式のものもあります。世界各地の文明は、このように音楽をゆるい形でしか、記録する必要性を感じてこなかったのです。
では、楽譜が生まれるためにはどのような条件が必要だったのでしょうか?必要は発明の母、といいますから、必要があったからこそ、楽譜は出現したのです。