先週までは、有史以来、人間は音楽とともに過ごしてきたのに、中世の欧州で「楽譜」が発明されるまで、まったくといっていいほど、そういったものを作り出してこなかった・・・ということを見てきました。逆に、「なぜ楽譜を発明する必要がなかったのか」ということを考えていきたいと思います。
3分程度の好きな歌なら楽譜いらない
ちょうどいい例が、先週も触れました「カラオケをする場合」です。予め録音された伴奏の音楽や映像に合わせてマイクを持って歌う・・時には採点までしてくれる、という「革命的機械」は日本で生み出されたので、世界中で「Karaoke」の名で使われています。歌をある程度知っていたら、しっかりした伴奏に乗せて、歌手になったつもりで楽しく歌える・・というマシンですね。カラオケは、楽譜を見なくても、ましてや楽譜を覚えていなくても、出来ます。楽譜の必要性を全く感じません。
多くの歌謡曲は長さが3分程度、それが好きな歌ならばメロディーだけを覚えるのは簡単です。楽譜など、必要はありません。「記録した音楽」を持ち歩く必要は全くないわけです。現代ではオーディオデバイスがあるので、曲を知ったり覚えたりするのも「楽譜から」という人は少数派で、「耳で聞いて覚える」という場合がほとんどのはずです。他の人が歌っているのを聴くのか、メディアで聴くのかの違いはありますが、これは人間が太古から行ってきた音楽を伝える方法です。
また、カラオケでは、リズムやテンポもあらかじめ決められていて、(機械によっては、それらも自分の好みに調節できます)、楽譜から読み取って「音楽の速さ」を設定する必要もありません。
そして、いわゆる「キー」ですが、これもカラオケの場合は、自分の好みに合わせて設定できますが、それを決めるのも、「ちょっと高いかな」「もうちょっと低い音から歌い出したい」というアバウトな勘だけで十分。「ファの音から歌い出したい」「最高音がミだとちょっと歌うのが難しいかな」などと考えるのは、プロの音楽家ぐらいです。