我々は重大な岐路に立っている
また、米国で5月22日夜に、黒人のジョージ・フロイド氏(46歳)が白人警察官に首を8分46秒圧迫されて殺害された事件は、「Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター)」(「黒人の命を粗末にするな」、「黒人の命だって大切だ」などの訳あり)という抗議運動を引きおこし、全米だけでなく、世界各地に広がっている。この問題を考える手がかりとして、昨年夏に出た『「差別はいけない」とみんなはいうけれど。』(平凡社)をお勧めしたい。著者の綿野恵太氏は、1988年生れで、連続トークイベントで2019年に対談したことのある與那覇潤氏より1世代若い気鋭の論客である。2018年に毎月1回「週刊読書人」で掲載された「論潮」は、鋭く透徹した視点で、その年の社会事象を論じ、洛陽の紙価を高めたものだった。本書は、「紀伊國屋じんぶん大賞2020――読者と選ぶ人文書ベスト30」で2位を受賞した、綿野氏の初の単著である。
「まえがき―みんなが差別を批判できる時代 アイデンティティからシティズンシップヘ」で、本書のおおまかな見取り図(アイデンティティ(民主主義)とシティズンシップ(自由主義)の対立)を示すとともに、各章の内容をサマライズしている。まずは、ここだけでも読みたい。民主主義と自由主義の原理的な対立をドイツの著名な法学者カール・シュミットの考察を引きながら、よどみなく説明してみせる。
そして、「心を病んではいけないの?」でも、「なんちゃって脳科学」や統計解析に支えられたエビデンス主義が厳しく批判されていたが、「人種間や男女間の生得なちがいを示す科学的な知見が、マジョリティによるアイデンティティ・ポリティクスによって、市民という概念(シティズンシップの論理)の空虚さを暴露することに悪用されている現状を指摘しており、最近の科学「信仰」の風潮からして重要な批判だと感じる。
また、「ポリティカル・コレクトネス(PC、ポリコレ)」が、歴史的には、1990年代以前は、米国のフェミニズムや黒人運動の内部で、階級闘争を目指し、共産党=前衛党を支持する古い左翼を皮肉った表現であったという。それが90年代初頭、保守派によるリベラルな価値観や教育を皮肉った表現として転用されるようになったのだ。著者は、「保守派によるポリティカル・コレクトネス(リベラルな言説)に対する非難・攻撃は、古い左翼(階級闘争)と新しい左翼(差別問題)の分裂を期せずして修復する機会を提供している。ならば、ここではそのようなポリティカル・コレクトネスに着せられた汚名そのものを肯定してみてはどうだろうか。そうだ。私たちはポリティカル・コレクトネスを大義とする、古臭い左翼であり、新しい左翼もある、と。格差と差別に対する闘いはどちらも平等を求める闘いであることにかわりはないのである。」(同書78頁)という。
このようなラディカルな挑戦に対し、過去には、「福祉国家」(英国のケインズやビバリッジの考えに由来)という構想で対処してきたわけだが、皆に分けるパイが自ずと大きくなる経済成長が顕著に見込めない今の時代に、どのようにしていくのか、我々は重大な岐路に立っているといっていい。
経済官庁 AK