タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
「思い切りポップスのアルバムを作りたいとはずっと思ってましたけど、作品がなかったですからね。「紅白」で歌えるような作品に出会えればと思っていて「限界突破サバイバー」がそれになりましたから。発売する前はどんな風に受け止められるか心配でもあったんです。でも、発売されてしまうと次の作品への意欲が湧いてくる。またポップスアルバムをやりたい、困りますね(笑)」
2020年6月9日に初めてのポップスアルバム「Papillon(パピヨン)~ボヘミアン・ラプソディー」を発売した氷川きよしは、筆者が担当するFM NACK5「J-POP TALKIN'」で新作アルバムについてそう言った。
演歌20年の「ご褒美」ではないアルバム
氷川きよしは2000年の2月にシングル「箱根八里の半次郎」でデビュー。今年がデビュー20周年になる。以来、"演歌の貴公子"というキャッチフレーズがもはや必要がないくらいに確固とした地位を築いてきた。
そうやって彼のことを見ていた人たちの度肝を抜いたのが2017年に出たシングル「限界突破×サバイバー」だった。
ハードロックのような激しい曲調と頭を振るアクション、ビジュアル系ロックスターも顔負けの派手な衣装。シークレットゲストとしてサプライズ登場したアニメソングフェスティバルでは、当初は誰が出て来たのか分からないまま盛り上がっていた客席が、氷川きよしと知って更に興奮状態になるというシーンもあった。そんな驚きは去年の「紅白歌合戦」でも証明済みだ。
新作アルバム「Papillon(パピヨン)~ボヘミアン・ラプソディー」は、その頃からすでに構想が出来上がっていたと言って良さそうだ。
「一曲一曲吟味して、どういうことを歌いたいかを作家さんにお伝えして書いてもらいましたから。発注した、というより参加して作った、という感じですね」
正直に言うと、アルバムを聴く前にはこういう作品を予想していなかった。つまり、演歌の世界で20年間実績を残してきたことへの「ご褒美」アルバム、というのだろうか。名だたる作家が参加した絢爛豪華なアルバムになるのではないか、と思っていた。
少なくともそういう「ご祝儀」的な内容は全くない。アルバム一枚をひとつのテーマで作ったと思える曲が並んでいる。一曲目の「Papillon(パピヨン)」は、ミュージカルや映画のオープニングのようだ。二曲目の「不思議な国」は、それを受けて更に迷宮に迷い込んだような曲。彼自身の非現実を思わせる笑い声も入っている。まるで一つのコンサートのように曲順が組まれている。
「なくなってしまいましたけど6月18,19日にポップスコンサートが予定されていて、コンサートありきで作っていきましたからね。『Papillon』もデモテープの時にはついていなかったオープニングを加えて頂きました」
「命の大切さ」と「自分らしくあること」
どんな曲を歌うのか。三曲目の「キニシナイ」は、EDMと呼ばれるエレクトリックなダンスミュージックで「青い鳥」は台詞入りのフォーク・ロックで「This is Love」はレトロなフォー・ビートジャズ。いきものがかりの水野良樹が書いた「おもひぞら」は、明らかに歌い手が彼であることを想定して書いたと思える哀愁のある異色のポップスだ。その最たるものが、上田正樹が曲を書きラップでも参加している「NEVER GIVE UP」だろう。氷川きよしがペンネームで初めて詞を書いたという曲でもある。
「上田正樹さんとは親交があったんでR&Bをお願いしようとは思ってたんです。去年の前半くらいからメールのやりとりをさせて頂いて。素直な気持ちを書けばいいんだよ、と言って頂いたりして。一年はかかりましたね」
アルバムに流れているテーマは「命の大切さ」と「自分らしくあること」だ。「NEVER GIVE UP」には、「何時も孤独で 周囲(ひと)と違うから 誰かにわかってほしいけど 誰にもわからない」という歌詞がある。そのためにまず新しい一歩を踏み出してみる。どの曲にもそんなメッセージが綴られている。
彼は、これまでのインタビューでも「元々はポップスを歌っていた」という話をしてきている。演歌でデビューした時は、その頃を知っているご両親も驚いたのだそうだ。そういう意味でも念願のアルバムと言っていいだろう。
ただ、そうやって"演歌"か"ポップス"かという音楽の「形」で分けてしまうことで大切なことに触れずに終わってしまう気もしている。
彼は、なぜ「ポップス」だったのか、という質問に、そうした自身の音楽体験とは別にこんな話をした。
「もちろん演歌も好きなんですけど、自分の可能性をもっと伸ばしたい、おこがましいけど表現したいことがあった。自分の経験を通して表現したいと思ったら想いが溢れてしまって、それを言葉にするにはポップスじゃないと出来なかったんです」
「小手先」が感じられない歌い方
演歌は「様式」の音楽と言っていい。曲の形式やそれに沿った歌詞。自分の思っていることを自由に歌うという音楽ではない。その「様式」の中でどう歌いこんでゆくか。20年間歌ってきて、今、40代の人間として自分の人生をどう考えているか。それを表現するには「ポップス」という方法が必要だったということなのではないだろうか。
このコラムで氷川きよしを書くのは2年前以来二度目だ。その時に、彼の歌の中の「緊張感」について書いた記憶がある。
それは「演歌の氷川きよし」を見てきて思ったことでもあるのだが、彼の歌には「小手先」が感じられなかった。演歌系の歌い手に時折みられる「器用に歌いこなす」という技巧に頼っていないように思えていた。
二年前、初めて彼をインタビューして、その理由が「演歌をうたうことがずっと怖かった」ことにあると知ったからだ。子供のころから演歌を歌っていたという環境の人が多い中で、外様の自分が歌っていいのか、という恐怖感を感じながら歌ってきた。それが「緊張感」に繋がっていたのだと思った。
アルバム「Pappilon(パピヨン)~ボヘミアン・ラプソディー」の最後は、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」で終わっている。世界中で大ヒットした映画「ボヘミアン・ラプソディ」は、作詞作曲したクイーンのヴォーカリスト、フレディ・マーキュリーの「理解されない苦悩」を描いたものだった。
氷川きよしは、音楽評論家の作詞家・湯川れい子の訳詞で朗々と歌い上げている。もちろん、クイーン側の了解も得てのことだ。
「自分の中でも歌っていいのか、賛否両論ありました。でも、フレディの商品として物珍しく扱われることの孤独や愛情への飢えみたいなものは痛いほど感じましたし、日本語で歌いたいと。覚悟しました。腹をくくりましたから」。
彼は「20年間歌ってきたから歌えたアルバム」と言った。そこに「演歌を歌ってきたから」と付け加えてみたい。「様式」の中で格闘してきたからこそ持てた「覚悟」。英語のポップスを歌ってきた歌い手にここまでの劇的な歌が歌えるだろうか。
彼のライブを初めて見た時、演歌の代表曲「白雲の城」に圧倒された。時の流れに黙して語らぬ古城への漂泊の想いを和服姿で堂々と歌い上げる。そこには「ボヘミアン・ラプソディ」と共通する「凄み」があるように思った。
初のポップスアルバム発売。でも、「ポップス・シンガー」としてのデビューではない。「演歌」も「ポップス」も超えた歌い手への一歩なのだと思う。
(タケ)