「小手先」が感じられない歌い方
演歌は「様式」の音楽と言っていい。曲の形式やそれに沿った歌詞。自分の思っていることを自由に歌うという音楽ではない。その「様式」の中でどう歌いこんでゆくか。20年間歌ってきて、今、40代の人間として自分の人生をどう考えているか。それを表現するには「ポップス」という方法が必要だったということなのではないだろうか。
このコラムで氷川きよしを書くのは2年前以来二度目だ。その時に、彼の歌の中の「緊張感」について書いた記憶がある。
それは「演歌の氷川きよし」を見てきて思ったことでもあるのだが、彼の歌には「小手先」が感じられなかった。演歌系の歌い手に時折みられる「器用に歌いこなす」という技巧に頼っていないように思えていた。
二年前、初めて彼をインタビューして、その理由が「演歌をうたうことがずっと怖かった」ことにあると知ったからだ。子供のころから演歌を歌っていたという環境の人が多い中で、外様の自分が歌っていいのか、という恐怖感を感じながら歌ってきた。それが「緊張感」に繋がっていたのだと思った。
アルバム「Pappilon(パピヨン)~ボヘミアン・ラプソディー」の最後は、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」で終わっている。世界中で大ヒットした映画「ボヘミアン・ラプソディ」は、作詞作曲したクイーンのヴォーカリスト、フレディ・マーキュリーの「理解されない苦悩」を描いたものだった。
氷川きよしは、音楽評論家の作詞家・湯川れい子の訳詞で朗々と歌い上げている。もちろん、クイーン側の了解も得てのことだ。
「自分の中でも歌っていいのか、賛否両論ありました。でも、フレディの商品として物珍しく扱われることの孤独や愛情への飢えみたいなものは痛いほど感じましたし、日本語で歌いたいと。覚悟しました。腹をくくりましたから」。
彼は「20年間歌ってきたから歌えたアルバム」と言った。そこに「演歌を歌ってきたから」と付け加えてみたい。「様式」の中で格闘してきたからこそ持てた「覚悟」。英語のポップスを歌ってきた歌い手にここまでの劇的な歌が歌えるだろうか。
彼のライブを初めて見た時、演歌の代表曲「白雲の城」に圧倒された。時の流れに黙して語らぬ古城への漂泊の想いを和服姿で堂々と歌い上げる。そこには「ボヘミアン・ラプソディ」と共通する「凄み」があるように思った。
初のポップスアルバム発売。でも、「ポップス・シンガー」としてのデビューではない。「演歌」も「ポップス」も超えた歌い手への一歩なのだと思う。
(タケ)