電話音のひずみに近い音楽に衝撃
小坂はかつてNTT基礎研究所に勤務する技術者だった。だが、ある人の影響でコンピュータ音楽に関心をもつようになる。それが2014年に文化功労者に選ばれた湯浅譲二である。湯浅といえば、スタートは西洋音楽だが、積極的に電子音楽を取り込み、独自の前衛性を確立してきた、現代音楽の巨匠である。
1989年、小坂は大きな影響を受ける。湯浅がIRCAM (フランス国立音響音楽研究所)から委嘱されて前年に作ったコンピュータ音楽を聞いたときである。
「『コンピュータと室内アンサンブルのための世阿弥・九位』というタイトルで、世阿弥が芸事を学ぶための教えを説いた内容を、人間の声のノイズに喋らせるという斬新な試みでした。何を喋っているのかわからないのだけれど、なぜかその機械音は、電話の音響研究をする私が日常電話の音質評価で耳にする歪(ひずみ)の音色に近かったのです。その音を巧みに使って音楽にしていた。衝撃でした」
小坂はそれまで趣味で作曲をしていた。が、湯浅の曲を聞いて以来、コンピュータ音楽の制作に傾倒していった。あらためて自らの職場環境を見渡すと、コンピュータ音楽を研究するために適した設備が整っている。小坂はやがて業務の一環としてコンピュータ音楽の研究を始めることになる。
腕を磨く意味もあり、その後、小坂は国際コンピュータ音楽会議(ICMC)の音楽祭に可能な限り参加してきた。この会議は、毎年異なる国で開催されており、1993年には日本で催されたことがある。しかし開催には人的・財政的な負担が大きいこともあって、日本での開催は遠のいていた。
日本のコンピュータ音楽制作者が、ICMCに毎年参加するのは難しい。たとえ数年に一度日本だけでコンピュータ音楽祭を催そうとしても、それほど多くの実践者(作曲家、演奏家)がいるわけではない。ならば地理的に近い国々の人が集まって、年に一度程度の頻度で作品を発表し合う場をつくってはどうかと考えた。それが小坂の発案で生まれたACMP(アジア・コンピュータ・ミュージック・プロジェクト)だった。
小坂がICMCアジアオセアニア地区副会長の立場にあったので、ICMCの下部組織としてACMPを位置づけた。韓国・啓明(ゲミョン)大学校教授の申聖兒(シンソンア)とシンガポール国立大学のロンス・ワイス、小坂の3人が発起人となった。2010年の韓国を皮切りに、タイ、台湾、日本などで開催。そして昨年の「日韓コンピュータ音楽祭2019」となった。
「こうした音楽祭を行ない、作曲家や演奏家が一堂に会して作品を披露する機会があると、研鑽を積む機会になります。今回は公益財団法人韓昌祐・哲文化財団の助成金があったので、演奏家にも適切な額の出演料を支払うことができました。作品の善し悪しを決めるのは演奏家のモチベーションです。おかげさまで、レベルの高い音楽祭ができました」
小坂も自身の作品を発表した。タイトルは「チェロと電子音響のための掛鏡」。「掛鏡」には、二つ以上の音を掛け合わせて新しい音をつくるという意味が込められている。チェロと尺八の揺れ(ビブラート)、17弦の箏の連続打弦表現と電子音などを掛け合わせることで、新しい音の世界を創造していた。チェロの演奏が魅力的なので、音楽として楽しめ、しかも力強い作品となっている。