読み手を楽しませる
メイキング映像のため、談笑する出演者をカメラに収めようとしたら、なんと猥談に興じている...これじゃ売り物にならないと退散するわけだ。なるほど「嫌な爺」である。
それはさておき、この結末に至るまでの展開と構成が秀でている。
まずは冒頭。横浜の面台も、テレビや映画の出演作も自分の作品だ。面台のほうは日々、トイレ使用者限定ではあるが確固たる存在感を示している。たとえ無名でも、石工見習いの仕事は形として残る。感染症も地震も関係なし。それに引き換え俳優という仕事は...と展開するための「つかみ」として申し分ない。実話は強い。
人生が波乱万丈であるほど、使えるエピソードも蓄積されていく。コラムニストに求められる「引き出しが多い」という資質だ。役者の遅咲きも、悪いことばかりではない。
松重さんは、俳優を「虚業」と書いている。幾分の謙遜を込めてだろうが、コロナのせいでドラマの制作や舞台公演が滞ったのは事実であり、いざという時に弱く虚しい存在には違いない。そんな感慨を込めての表現と思われる。
そのまま終われば、全体が暗いトーンになるところ。そこで、演者の「形」が残るDVDの話に移したうえで、他愛もない業界内輪話で締めている。あふれるユーモアと併せ、読み手を楽しませようというプロ意識と、ほのかな優しさを感じた。
冨永 格