タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
ライブが行われなくなってから、改めてこれまでに出されたライブ盤を聞き直している。それはライブが恋しい、という渇望感に尽きるのだろうが、映像の時代になりテレビやインターネットでライブ映像が紹介されることがあっても「音の記録」が持つ重要性を顧みる機会がどんどん減っているようにも思うからだ。
映像で見る「ライブ」は、セットや照明などのテクノロジーやビジュアルで年代を感じさせたりする。でも、音で聴くライブには、そういう「古さ」がない。今になって映像で見るとお粗末に見えるステージでも演奏や歌は色褪せていない。その日がどういうライブだったのかを時を超えて証明している。
そうやってあれこれ聞いてゆく中で、新鮮だったのが、1981年に出たシャネルズのライブ盤「ライブ・アット・ウイスキー・ア・ゴー・ゴー」だった。
サザンなどと決勝大会に進出
シャネルズは、2020年の4月にデビュー40周年記念盤「ALL TIME ROCK'N' ROLL」を発売した鈴木雅之をリーダーにした10人組だ。80年2月に「ランナウェイ」でデビュー、いきなりチャートの一位、ミリオンセラーを記録した。作詞は音楽評論家の湯川れい子、作曲は元ブルーコメッツの井上大輔。60年代の洋楽を日本に広めてきた二人と言っていいだろう。
結成は、75年。大田区大森の御近所界隈の音楽仲間。ヤマハのコンテスト、EAST&WESTではサザンオールスターズやカシオペアなどと決勝大会にも進出している。東京の西の外れにある福生に住んでいた大瀧詠一が、彼らの地元、大田区の大森まで逢いに行ったりしていた。70年代にはマニアックな音楽の代名詞のようでもあったドウワップと呼ばれるコーラスを下地にした日本語のポップスは、新しい時代を感じさせた。ヴォーカルの4人が顔を黒く塗るという、鈴木雅之の言葉を借りれば「日本人初の黒人」というビジュアルも含め、60年代のアメリカンロックへの偏愛ぶりは随所に伺われた。
シャネルズのライブアルバム「ライブ・アット・ウイスキー・ア・ゴー・ゴー」は81年7月に発売されている。デビュー翌年、81年5月27日・28日とロサンゼルスの名門ライブハウス「ウイスキー・ア・ゴー・ゴー」で行われたライブを収録している。選曲の中のオリジナルは、発売されたばかりの4枚目のシングル「ハリケーン」とデビュー曲「ランナウェイ」の英語版のみでほぼ全曲が英語。50年代の終わりから60年代の前半のドウワップやロックンロール。客席の歓声がライブの盛り上がりを記録している。
今や「ウイスキー・ア・ゴー・ゴー」がどういう場所かという説明が必要かもしれない。開店は1964年。出演者はドアーズ、ジミー・ヘンドリクス、ジャニス・ジョプリンなどアメリカ西海岸の伝巨人たちやザ・フー、キンクス、ツエッペリン、ロキシーミュージックなどのイギリス勢、ローリングストーンズが歌にしたこともある、洋楽ファンなら知らない人がいないライブのメッカ。シャネルズは、デビューした年にそこのアマチュアナイトで飛び入りで歌い、現地の音楽関係者にアピールし翌年の出演にこぎつけた。客席には、噂を聞きつけて駆け付けた60年代のコーラスグループのメンバーもいた。自分たちがアマチュア時代に歌っていた曲をオリジナルメンバーと一緒に歌っている曲もある。
ライブ盤からは顔を黒く塗ってまで憧れたロック少年たちの「夢がかなった」という興奮や熱気が伝わってくる。
シャネルズは、83年に「ラッツ&スター」と名前を変え87年に活動休止。それぞれがソロ活動に踏み出していった。