「傑作」はほとんど口伝のみだった
これだけ、欧州音楽の基礎となるさまざまなものを考案したギリシャ文明なのですが、現在ひろく使われているような「楽譜」は、ついに発明しませんでした。正確に言えば、古代ギリシャの墓碑銘には、簡単な楽譜らしきものを記したものが見つかっていたり、劇の台本の中に楽譜らしき記録が見つかっていたりと、「断片」は存在するのですが、おそらくその「楽譜らしきもの」は再現性が十分でなかったため、廃れてしまい、後世に引き継がれることはありませんでした。もちろん、現代のテクノロジーを持ってしても、解読不能で、それにより演奏された音楽がどんな音楽だったかは、正確に再現することは不可能なのです。
つまりこれは、音楽にとって、まだまだ「それだけで正確に音楽を再現することが出来る」楽譜が必要とされていなかった、ということです。音楽はまだまだ即興性の高いもので、また、繰り返し同じものを演奏する必要に誰も迫られていなかった・・むしろ時間とともに過去に消えていってしまう・・ということこそが音楽の本質だ、と皆が考えていたからともいえます。
しかし、そんな時代でも、「傑作」は人に伝えようとするのが自然で、その場合は、ほとんど口伝のみで伝えられた、と推測されています。言い換えれば、口伝で伝えることが出来るぐらい当時の音楽はまだまだ単純だったということです。それは、多くの場合、旋律のみが重要で、伴奏は即興で付ける程度でよかったのでは、ということと、一方で、同じ言語、同じ文化の共同体の中では、音楽の伝え方は、現代の楽譜のように「音程、リズム、テンポ、抑揚」まで書き込む必要はまったくなく、「歌詞の言葉と、その周辺に音の高さをちょっと書き入れるメモ程度」で良かった、ということでもあります。ましてや、「全くの他人」や「異文化や外国の人」に、音楽を正確に伝える必要などなかったのです。現代では「音楽に国境はない」などと言語との対比で言われますが、長いこと人類は「音楽には国境があって当然」と考えていたわけです。
実は、現代でも音楽には明確に国境が存在する場合のほうが多いのです。ただ、欧州発祥の「クラシック音楽のシステム」のみが、汎用性があり、実用性の高い楽譜を持っていたために、近代以降の欧州諸国の興隆・世界進出と相まって、世界のスタンダードとして広い地域で聴かれているだけなのです。
古代ギリシャ文明と同じく、その後地中海にパクス・ロマーナの時代を築いた巨大帝国ローマでも、事情はほぼ同じでした。ローマ人も、再現性の高い機能的な楽譜を生み出さなかったのです。「異なる文明・言語地域でも通用する実用性の高い楽譜」が発明されるには、中世初期の欧州まで待たねばなりませんでした。
本田聖嗣