エジプト文明でも楽譜はなかった
それほど、音楽というのは人間の古い歴史から登場していますが、音の連なりである音楽がすでにあるのに、まだ楽譜は姿を表していません。つまり、楽器は発掘されても、楽譜らしいものはなかなか遺跡から見つからないのです。もちろん、紙などの使いやすい記録手段が発明されるはるか以前、ということもありますが、音楽を誰にでもわかりやすく、それさえあれば再現演奏できる、という楽譜的なものが、必要とされていなかったとも考えられています。
時代はぐっと近くなって・・・といってもまだまだ紀元前3100年ごろ~紀元前670年頃ですが、いわゆる世界四大文明の1つ、古代エジプトでは、どうだったでしょうか?
農耕によって食料供給が安定し、定住生活が出来るようになってくると、貧富の差があらわれ、次第に権力構造が生まれます。そうすると、いわゆる文化や文明と呼ばれるもの、・・・人々を統治するための法を記したり伝えたりする言語や、統治権力の権威を高めるための音楽が重要になってきます。宗教祭祀や、大勢による舞踏といった「豪華さを見せつけるもの」には音楽が欠かせないのは現代でも同じですが、エジプトの残された墓碑銘などを見てみると、4分の3ぐらい・・つまり、かなり多く、楽器などの音楽関係の記録がみつかります。
古代エジプト人の生活にとって、音楽は欠かせないものになっていたといえましょう。あの巨大なピラミッドやスフィンクスを生み出した古代エジプト文明ですから、さぞかし音楽も豪華だっただろう・・と思わずに入られません。楽器奏者や歌の奏者といった「演奏家」もたくさんいたはずです。
しかし、ここでも「楽譜」らしきものは見つかりません。四大文明の他の文明や、シュメールなどのそれ以前の文明の遺跡を探してみても、いわゆる「ある程度の長さの音楽を、その演奏を全く聴いたことがない人に、ほぼ正確に伝えることのできる」という機能を持った現代の「楽譜」のようなものは、まったく発見されないのです。楽器の演奏法を解説しているらしい記録はメソポタミアなどでも発見されていますが、それはあくまで「演奏法」の記録で、音楽そのものを記した「楽譜」ではないのです。
次に、エジプト文明より少し後に栄え、「音楽」を大変に重要視した古代ギリシャ文明を見ていきたいのですが、これはまた次の回にしましょう。
本田聖嗣